【私小説】消えないレッテル 第9話
*
私は会社の組合室に来ていた。
組合で一番、権力を持っている方と直接、面談することになったのだが、その面談は何回も繰り返されるものだった。
その面談を何回も繰り返すうちに私は有期契約社員五年目に突入していた。
そして、五年目の春、組合の権力者が言った台詞は、こうだ。
「カミツキさん、組合としての結論を言います」
「はい」
「組合としての結論は会社のルールに従ってください」
「はい?」
「従業員の皆さんは会社のルールに従って働いていますよね」
「はぁ」
「だから、そのルールにカミツキさんも従うべきなのです」
「は、はぁ」
「カミツキさんは、このまま五年目の正社員登用試験を突破するための勉強をして、皆さんと同じように正社員になってください」
「でも」
「でも?」
「一般雇用と障害者雇用は分けて考えるべきですよね」
「いいえ。そこに差はありません」
「なんで、そんなことを言うのですか?」
「健常者、身体障害者、知的障害者、精神障害者、すべての人間が平等に働ける環境をこの会社は提供しているわけです」
「はぁ」
「みんな同じですよ」
「あの、私、ものすごく言いたいことがあるのですが」
「どうぞ」
「たとえば、ですけど、健常者と身体障害者の差って、わかりますか?」
「はい?」
「健常者は、なんのデメリットを持たない人間だとしますね。なら、身体障害者のデメリットは、そのままの通り、身体の障害を持つ者です。身体の一部が欠損している、身体の一部の機能が機能していない状態だということは私たちの目から見て、わかるものじゃないですか」
「はぁ」
「だから、私のような精神障害、発達障害を持つ者からしたら、身体が欠損している身体障害者ではあるけど、それ以外は健常者と変わらないように思えて仕方ないのです。身体以外は健全なのですから」
「それで、カミツキさんは、なにを言いたいのですか?」
「最後まで聞いてください。知的障害者に関しても、わかりやすい部類ではないでしょうか。彼らは単純な労働作業を提供していますよね。この会社の子会社が知的障害者に清掃業務を任せるように」
「まぁ、そのための子会社ですからね」
「でも、精神障害者と発達障害者の場合、それは身体障害者と知的障害者のように、それらの障害者と同じように差がない、平等であると言えるのでしょうか。精神障害を持つ者が、なぜ障害者と言われるのか、その理由をちゃんと考えたことは、ありますか?」
「なにが言いたいのですか?」
「精神障害者は精神が欠損している。だから、障害者なのです。精神が欠損していない健常者からしたら、非常にわかりづらいものかもしれません。だって、精神が欠損している、その意味を理解できるようになるためには、あなたたち健常者の精神を欠損させなければいけないのですから」
「それで」
「発達障害者に関しても、精神障害者と同じことが言えます。精神の発達が欠損している、だから発達障害という名称が与えられているのです。発達障害者は健常者と比べて未発達な特性がありますから」
「でも、私の親戚の子は発達障害者でしたけど、治りましたよ」
「治った、って、どういうことですか?」
「そういう診断がついていたみたいですけど、自然に治ったって聞いています」
「発達障害は治りません。その医者の誤診か、その子が、その環境に過剰適応したことにより治ったように周りが錯覚しているだけ、だと思います」
「それは言い訳だよ。カミツキくんの持つ障害だって治るよ」
「治らないから、ここで何か月も相談しに来ているのです。書類だって、いくつも提出していますし、私の発達障害は生まれた瞬間から一生、治らないですし、統合失調症だって、人生をかけて飲みたくない薬を飲み続けなければいけません。薬の副作用による薬害だってあります。私は、この会社に通うことだって、朝、起きたときの頭痛に悩まされながら無理やり来ているのです」
「そうは言っても、だよ。組合としての結論は変わりません。言い訳を並べることは誰にだって、できることです。もう、お昼休憩は終わります。お疲れ様でした」
そのように組合の権力者に言われ、私は組合室を追い出された。
この数か月の行動は、すべて無駄だった、ということだ。
私には、もう、どうすることもできないのだろうか。
*
会社に入社した当初、組合の勧誘員に、こう言われたことがある。
『組合に入らないと正社員になれないよ。組合に入らなかった人は全員、正社員になれなかったから』
そう言われたから私は正社員になるために組合に入ったのだが、結局、組合は会社の犬で会社に従う組織なのだということを今回の出来事で思い知らされた。
私は他者から与えられた希望の道筋というものが偽りだったというパターンを何度も経験している。
いい加減、学習しろよ、私。
*
私は私とまったく同じ時期に入社していた発達障害者の方と話をしていた。
名をハタミチさんという。
ハタミチさんも私と同じように四年目の正社員登用試験を受けて落ちた有期契約社員だった。
私がハタミチさんと話をしていく中で、なんとなく察してしまったことがある。
それは彼女が私以上に発達障害という概念に対して真剣に悩んでいる、ということだ。
それは彼女の顔色にしっかりと表れていた。
会社の休憩フロアで私たちは悩みを共有していた。
「あの試験を合格するのは、私たち発達障害者には無理よねぇ」
「そうですねぇ」
「私たち、障害者雇用だよね。どうして一般雇用の方たちと同じ試験を受けさせられたのかしら」
「たぶん、会社側が理解していないからだと思います」
「そうそう、私も、そう思った。あのさぁ、会社のホームページに載っていた、あの記事、見た?」
「あの記事って、会社で活躍する障害者人材の特集でしたっけ?」
「ええ。あそこに載っていた障害者、全員」
「身体障害者でしたね」
「おかしくない、あれ」
「そうですねぇ」
「身体障害者しか活躍してないじゃん」
「知的障害者は清掃業務で子会社に雇われていますけど、私たち発達障害者を含む精神障害者が活躍しているような人材、いませんでしたからねぇ」
「そうそう、ほんと、そう」
「この、身体障害者だけを受け入れる流れは、どこかで、どうにかしないといけませんね」
「私もそう思う」
「あと、この会社、雇用されている精神障害者が僕とハタミチさんと、もうひとりの方しかいません。つまり、五年目の正社員登用試験を受ける精神障害者は僕たち、ふたりだけです。だから、僕たちの声が会社に響かないのでしょう。もうひとりの方は僕たちより二年後に入社した方ですから、それまでには、なんとかしたいですね」
「でも、できれば、私たちのときに活路を見いだしたいよね」
「実は僕、会社の組合と正社員登用試験について改善要望を出してほしいと話したんですけど、組合は私たち精神・発達障害者を支援しないようです。つまり、組合は私たちを見捨てました」
「結局、私たちは正社員になれないのかなぁ」
「僕は、まだ、希望を捨てたくありません。たとえ会社側と話して、わかりあえなかったとしても最終手段として法的措置を考えています」
「法的措置?」
「障害者差別解消法の合理的配慮提供義務を実行させるのです」
「実行させると、どうなるの?」
「合理的配慮を会社に求め、正社員登用試験の仕組みを改善させます」
「よくわからないけど、まぁ、私もできる限りのことは、がんばるね」
「はい、お互い、がんばりましょう」
「それじゃあ、またね」
「はい、また」
私はハタミチさんと別れ、数分が経過したあと、休憩室でツイッターを見ていた。
そんなとき、ある発達障害者アカウントが、こんなつぶやきをしていた。
『私の会社、精神・発達障害者が三人しかいないんだって。大企業なのに三人って、おかしいよね。でも、私と同じ発達障害者の方が、なんとかしてくれるって言ってる。希望はある。私もがんばろう』
そう。
私とハタミチさんはツイッターで、お互いにフォローし合っている関係だった。
私は、このつぶやきでハタミチさんだとわかった。
彼女はツイッターで四桁のフォロワーがいる有名な発達障害者アカウントだった。
私は彼女のアカウントの影響を受け、常に彼女のつぶやきにいいねするくらいだったのだが、彼女の正体を知った瞬間、なんか違うと思うようになって、彼女のつぶやきにいいねすることをやめた。
*
総務部に病気休暇していた社員が人事異動でやってきた。
名をタジマさんという。
彼は鬱病で一年くらい休職していたが、一年の休職を経て、総務部へやってきた正社員の方である。
鬱病で一年も病気休暇できるなんて、なんて、うらやましいことなのだろうか。
私は統合失調症で病気休暇なんて、したことないのだけど。
まぁ、正社員と有期契約社員の差が、ここでも起こっている。
有期契約社員は、ちゃんと毎日、会社へ行って、正社員登用試験を合格して、そして正社員にならなければいけない。
タジマさんは最初から正社員として雇用されていたので、そのデメリットを回避できた。
それにタジマさんは入社後に鬱病を発症した。
そう、正社員の状態で精神病になると手厚く会社から保護されるのである。
これが正社員の従業員が当たり前のように使える特権なのだ。
そう思うと、なぜ私が正社員になるのに、こんなに苦労しなければいけないのだろうか。
なぜ、こんなに、必死にならなければいけないのだろう。
私は彼より重い病気を持っているのに、どうして。