【私小説】神の音 第4話
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「よっ! カミツキ、お前告白したんだって?」
僕とトモエちゃんの噂はいつの間にか学校中に広まっていった。
「振られたのかあ。まあ、次があるよ、頑張れ」とは言われず、「アハハ、マジ爆笑」と蔑まれた。
僕の人生は終わったと思った。
今までなんで気づかなかったんだ。
自分がバカにされることくらい目に見えていただろう?
僕は自分自身を蔑んだ。
どうしてそんなことも分からなかったんだと。
僕は進路指導室に行くのをやめようかと思った。
でも、勉強はしなければいけないと思い、僕は進路指導室に向かった。
進路指導室に入ると、誰もいなくて戸惑った。
僕は普段座らない場所へと向かった。
進路指導室の後ろの席だ。
僕がトモエちゃんにメールアドレスを訊いた場所でもある。
僕はその場所に座った。
そして数学の参考書を開いた。
誰かが来るのをビクビクしていたが、そんな空気は勉強していくうちに消えていった。
問題はなかなか解けなかったが公式を見て理解していくように努力していた。
でも、心の中ではトモエちゃんに会いたいという羞恥心を抱えていた。
だが、もう振られたのだ。
現実は時に残酷である。
僕はつくづくそう思った。
でも、それでも、心のリビドーはトモエちゃんを欲していた。
僕はトモエちゃんにまた告白したらどうだと心の中に秘めていた。
今度は直接面と向かって……。
――そんなことを思っていても、埒が明かない。
僕はまた決意を新たにした。
勉強するんだ。
勉強して良い大学に入って就職して結婚するんだ。
彼女なんていくらでも作る機会はある。
今回の件は後回しにしよう。と心の中で決意をした瞬間だった。
ガラッ!
引き戸の開く音が聞こえた。
本棚の向こう側から誰かが入ってきたみたいだ。
本棚の向こう側には境ができており、誰が入ってきたかは見ることはできない。
だが、声で誰が入ってきたかは判別することはできる。
僕は声に耳を澄ました。
「あのね、カミツキ君のことなんだけど……」
その声は透き通るような音だった。
透き通るような声の持ち主……彼女しかいない。
声の正体はトモエちゃんだった。
透き通るような声、容姿、何もかもが愛おしい。
「カミツキ君がどうかしたの? コクられた件について?」と、トモエちゃんの友達であるヤウチさんが言った。
「トモエねえ……いきなり告白されても困っちゃうのよ」
トモエちゃんは自分のことをトモエと言うのか……そんなことよりいきなり告白されても困る……だって?
「あー、分かる。私もそんなことされても困るよ」とヤウチさん。
「トモエねえ、今まで付き合った人は身長高かったの。だから身長が低い人はタイプじゃないっていうか……」
身長が低い……明らかに僕のことを話している。
僕は中学生の頃、男子の中で一番低かったのだ。
それがコンプレックスでバスケットをしている時、よく身長の差を意識したものだ。
僕は自分のことを言われていることに気づいた。
僕はショックだった。
トモエちゃんが今まで付き合ったことがないものだと思っていたからだ。
彼女は自分の恋愛遍歴について語りだした。
それは今まで付き合った人との行為の話だった。
僕は聞いてて苦しくなった。
僕は純粋な彼女に惹かれていたのに彼女は純粋じゃなかったと知ってしまってからは彼女が横柄な人物だということが分かったからだ。
トモエちゃんは話を続けて言った。
「振った理由だけど最大の理由はいきなりメールで告白してきたことだよ」
「メールで? そりゃあ私だって振るわ。直接告白してこない根性なしなんて嫌だもん」とヤウチさんが言った。
根性なし……と言われても仕方ないのかもしれない。
僕は直接声をかけるのに緊張してしまっていたからだ。
「トモエ、直接告白してくる方がよかった」
「そうだよね。やっぱり直接告白してくる方が良いよねえ」
二人の会話はそれで終了した。
僕はここにいるであろう僕自身に対して話を振ったのだと思った。
僕はこれからどうしたらいいのだろう。
やっぱりまだ諦めきれていない。
胸に秘めた思いを打ち明けた方が良いのだろうか。
僕はまだ諦めを隠しきれていなかった。
「コーポ石畳」に戻るとクチタニ君が僕の部屋にいた。
「どうして僕の部屋にいるの? 二度と戻らないんじゃなかったの?」と言うと、
「お前を鍛えなおしに来た」と言った。
ますます意味不明だ。
クチタニ君は「映画を見よう」と言ってDVDを取り出した。
映画は『フォレスト・ガンプ/一期一会』というタイトルの映画だった。
「お前はフォレストのような男になれ」
クチタニ君は念を入れるように言った。
フォレスト・ガンプはひとりの幼なじみに対して愛を語る好漢のように見えた。
知能指数は低いが前向きでまっすぐ生きようとする彼の姿勢は共感できる。
僕はそんな彼にどこか似ているなあと思った。
DVDを見終わるとクチタニ君は言った。
「お前さあ、DVDプレイヤーの線壊しただろ? 二千円払ってもらうぞ」
僕には覚えがなかったが、言われるがまま二千円を取り出し、クチタニ君に払った。
お金を貰った時の彼の表情はどこか嬉しそうだった。
そんな彼に僕は言った。
トモエちゃんのことについてだ。
「今日さ、トモエちゃんが言ったんだ。『トモエ、直接告白してくる方がよかった』って。トモエちゃんは僕に直接告白されたかったのかなって……」
クチタニ君は言った。
「お前さあ、まだ諦めがついてなかったのかよ。いい加減にしろよ。これ以上言うと本気でお前のことを殴るぞ」
僕は反論できなかった。
それからというもの、クチタニ君は僕の部屋に入り浸るようになった。
自転車で買い物に行ったり、使いかけの化粧品を買わされたり、僕と彼には上下関係が芽生えた。
高校を一回中退した僕と一年浪人している彼の年は同じだったのにね。
「これからはお前を鍛えなおす」という彼の信念は強いものだった。
僕は自分が不細工だということを彼に念強く言われた。
「不細工には不細工なりの生き方がある」
彼の言葉は僕に強い印象を与えた。
僕はショックだった。
自分が不細工だという印象がなく普通に生きてきたつもりだったのに、そんな僕を見て、彼が、クチタニ君が傷ついていたなんて思いもしなかったからだ。
僕は人のことを見下すという嫌な人間だとは自分では思わなかった。
人の下につき、最も襲われにくいポジションに落ち着くことが僕の生きる道だった。
だから、人のことを見下すという感情を持ち合わせてないと思っていたのに……。
僕はクチタニ君に鍛えなおされていくことを強く望んだ。
それが僕にとってこれからの人生を変えるきっかけとなるのなら。
二〇一〇年八月に入った。
この時期は猛暑で身体まで熱くなるような感覚だった。
僕は夏休みを使って受験勉強をしようと計画し始めていた。
勉強をする場所は学校にしようと決めていた。
僕は数学の勉強をしようと進路指導室に入り浸るようになった。
進路指導室にはトモエちゃんの友達のヤウチさんと数学の勉強を教えてくれるブツダ君と医学部を目指しているカジ君がいた。
僕は好都合だと思った。
なぜなら僕は人より勉強ができないし、得意なものがないから、人に頼って勉強できるのは僕にとって大きなメリットだからだ。
彼らにメリットはないが……。
僕は人より頭が悪い。
そのことが頭にあったが、努力さえすれば僕でも有名な大学に入ることができるだろうと踏んでいた。
元々は進学校出身だったのだ。
僕をシカトの対象にしたあの事件のことがなければ僕は今頃普通に大学生だっただろう。
そんなブランクがあったのだ。
今から勉強さえすれば有名な大学も夢じゃない。
僕はそう決意した。
カジ君も言ってくれた。
「カミツキだけじゃない。勉強には必然的に努力が必要になってくる。努力さえすれば誰でも良い大学に入れるんだ」と。
僕はカジ君の言葉を信じようと思った。
その方が自分もポジティブになるし、何よりやる気が出るからだ。
僕は改めて決心した。
勉強して有名な大学に入ると。
そんな僕に生意気を言う人がいた。
ヤウチさんだった。
ヤウチさんは僕に対してこう言った。
「勉強ができないんじゃ今更やったって遅いよ。一年前くらいにやってたら違ったかもしれないねえ。浪人したら?」
僕はその言葉に反論したかったが、自分が大人しい性格だったので言うのをやめた。
何だかよく分からない気持ちが僕の中を渦巻いた。
女の子に生意気を言われるという経験が今までなかったので、不思議とその言葉が温かく響いてくる感覚だった。
この気持ちをどう説明したらいいのだろう。
僕はこの気持ちを表現するのをやめた。
やっぱり彼女の言葉を耳に貸すのをやめた。
僕はこの気持ちをクチタニ君に言ってみようと思った。
クチタニ君になら何を言っても許される……そんな感覚になりつつある。
僕はクチタニ君に訊いてみた。
「あのさ、ある女の子にね、生意気な言葉を浴びせられたんだけど、それが不思議と心地良いというか……そんな感覚をなんていうんだろう?」
クチタニ君は呆然と僕の方を見た。
そして言った。
「それはさ、恋と同じなんじゃないか? ようやくトモエのことを忘れたんだな」
トモエちゃんのことを忘れた?
本当にそうなのだろうか?
僕は言った。
「それは少し違うような……なんて言ったらいいんだろう?」
クチタニ君は言った。
「ウジウジしてんじゃねえよ。そんなことより……俺の写真を見せて来いよ。お前よりイケメンだってことを分からせてやる」