【私小説】神の音 第10話
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二〇一二年四月、薬学部をやめて文系の学部へ文転した。
襲われやすかった大学の寮をやめて再び両親の住んでいるアパートに戻ってきた。
両親には本当に迷惑をかける。
本当に申し訳ない。
留年したと知られた時は両親ともカンカンになって怒られた。
僕は本当にすまないと思った。
不甲斐なかったのだ。
僕は周りに嫌なことをされてもただ見過ごすだけだったし、何もしなかった。
それが、僕の一番いけなかったことだ。
少しでも抵抗をすればまだ良かったのかもしれない。
教授にチクれば良かったのかもしれない。
僕は何もしなさ過ぎた。
それもこれも誰が悪いのだろう?
誰が……僕は思いつく。
クチタニだ。
クチタニがこの大学を勧めなければ、僕はこんな目に合わなかったのかもしれない。
僕はクチタニに対する復讐を考え始めた。
クチタニに洗脳された僕がこの大学に入らなければ留年なんてしなかっただろうに。
僕はクチタニに利用されていたんだ。
あんなに暴力を振るわれていたのにどうして僕は立ち向かわなかったんだろう?
どうしてあいつを殺さなかったのだろう?
あんな奴がどうしてのほほんと生きていけるような世の中なんだろう?
……許さない。
あいつを……許さない。
僕の人生を狂わせたあいつを……僕は許さない。
殺してやる。
あいつを……社会的に抹殺してやる。
でも、どうやって社会的に抹殺すればいいんだろう?
僕はある方法を思いついた。
有名になればいいんだ。
僕が有名になればあいつを……社会的に抹殺できるかもしれない。
あいつは自己愛性パーソナリティ障害なのかもしれない。
自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしい存在だと思いこむパーソナリティ障害の一種だ。
あいつは自己愛性パーソナリティ障害だったんだ。
だから僕に色々な意思を強要したんだ。
あいつは障害者だったんだ。
ははは。
笑えてくる。
今まで起こされた出来事が障害によるものだったなんて。
だが、洗脳される僕も僕だ。
洗脳される僕もどうかしていたんだ。
でも、僕は変わる。
芸能人になって有名になれば同情してもらえる可能性が高い。
フフフ、同情してもらえる。
同情してもらえるんだ!
有名にさえなれば……みんなに理解されるんだ!
よーし、なってやるぞ!
芸能人に!
僕は心に決めた。
でも、どうやって芸能人になればいいんだろう?
インターネットを使って検索してみる。
へえ、コンテストがいっぱいあるんだ。
ほお、このコンテストはどうだろう?
ヒーロー出身の人がいっぱいいる。
ヒーロー出身とは、朝の時間帯にやっているヒーロー番組の出身ということだ。
僕は決意した。
ヒーローになってやる。
ヒーローになれば、朝の顔になれるし、田舎である地元の人にも認めてもらえるかもしれない。
僕は認めてもらいたいんだ。
みんなに……特に田舎の……地元の人たちに。
僕は称賛されたいんだ。
だから僕はやる。
やってやる。
みんなから認められるヒーローに……なってやるんだ!
この瞬間、僕はヒーロー出身の人が多いコンテストに応募することにした。
まずは、写真を撮らないとね。
二〇一二年五月、僕は母親に頼んで僕自身の全体写真を撮ってもらうことにした。
母親はめんどくさそうだったけど、無理やり取らせる。
その後に急いで、そのコンテストの雑誌を自腹で買ってきて、募集要項を見る。
募集要項には、二十二歳までOKと書いてあった。
僕は今年、二十一歳なのでまだ間に合うと思った。
早く応募しなきゃ!
僕はまた家を出て、近くの本屋さんで履歴書を買う。
そして、近くのコンビニで証明写真を撮る。
撮り終わったら、急いで家に入り、証明写真を履歴書に貼り付ける。
履歴書にはびっしり自分のことで埋め尽くした。
履歴書と写真を封筒に入れ、郵便局に持っていき、僕は心の準備をする。
郵便局の人に封筒を渡す。
この瞬間が僕をドキドキさせる。
なんでそう思うのか?
それは「あー、この顔でこのコンテストに受けるんだあ」と内心思われそうで怖かったからだ。
僕はこの程度の顔で……とは思われたくなかった。
でも、仕方ないんだ。
僕は今までクチタニに洗脳されていたから、自分のことを過小評価されると思うのは仕方ないことなんだ。
僕はクチタニの洗脳が解けていくうちに、自分が不細工と言うほど不細工ではないと自分で思い始めていた。
イケメンとは言えないとしても、フツメンとは言えるだろうという自信が僕自身に芽生え始めていた。
洗脳され過ぎていたんだ。
僕のクチタニに対する影響は自分の人生を変えるほど大きかった。
僕は出っ歯だとクチタニに言われていて、そのコンプレックスが大きすぎて薬学部をやめたときに歯列矯正をするということを父親に頼んだ。
父親は「言うほど出っ歯じゃない」とか「ありのままの自分を受け入れることが大事だ」とか言ってくれたが、僕はそれ以上にコンプレックスの方が大きかった。
僕は出っ歯だとクチタニに自覚されると、歯が見えるのを気にして、うまく喋れなくなっていったんだ。
他人に出っ歯だと言われなくても、クチタニに出っ歯だと言われる。
コンプレックスが段々と……段々と大きくなって、自分が自分じゃないような感覚になっていくんだ。
僕はそれが怖かった。
嫌だったんだ。
だから僕は父親に縋るように頼んだ。
「今のままの自分を変えたい」と……そう言った。
父親はやっとの思いで歯列矯正をすることを許してくれた。
嬉しかった。
自分が変わるチャンスを与えてくれた気がして。
僕は父親に変われるチャンスをくれて「ありがとう」と言った。
父親は納得していないようだったが、許してくれたので結果オーライだった。
――僕は変わる。
変わるんだ。
きっかけは何でも良い。
僕は完璧な人間になるんだ。
二〇一二年六月、僕は大学で声を聞いてしまった。
「ねえねえ、この学校に芸能人が出るみたいよ」
「それは知らなかった。どんな人?」
「身長は百六十五センチくらいなんだけど、顔は可愛らしい感じの人なの」
「へえ、それは会ってみたいねえ」
芸能人……この学校にいるのか?
それとも、僕のことなのだろうか?
――いや、そんなはずはない。
まだあのコンテストに応募して一カ月くらいしか経っていない。
僕がコンテストに応募した情報は誰にも知られていないはずなんだ。
だから、今聞いたのは何かの間違いだ。
僕以外の誰かのことなんだ。
そう僕は自分の頭の中で認識した。
認識していた……つもりだったのに。
まだ声が聞こえる。
「ねえねえ、この学校に芸能人が出るみたいよ」
「それは知らなかった。どんな人?」
この言葉が何度も何度も繰り返す。
いったい何が起こっているっていうんだ?
「身長は百六十五センチくらいなんだけど、顔は可愛らしい感じの人なの」
「へえ、それは会ってみたいねえ」
僕はどうしても「身長は百六十五センチ」という部分で自分のことだと勘違いしてしまう。
身長百六十五センチくらいいくらでもいるって。
僕は自分のことを自意識過剰だなあと思った。
まだコンテストの結果は出ないはずだろ?
そうなんだろ?
それとも実はみんな僕の情報を知っててドッキリでもしようっていうのか?
まさか……な。
……何だか怖くなってしまった。
僕はコンテストの雑誌を買うのをやめることにした。
もし雑誌に僕の顔が写ってしまうなんてことがあったら怖いと思った。
だから僕は自意識過剰かもしれないけど、雑誌を見ることはなくなってしまった。
二〇一二年七月、最近よく写真を撮られることが多くなった気がする。
特に学校の中を歩いていると、パシャパシャと音が聞こえるのだ。
水の音なんかじゃない。
間違いなくカメラの音だ。
僕は激しく警戒した。
いったい誰に……何の目的があってこんなことをされるのだ?
いや、僕の自意識過剰なのかもしれない。
でも、なんでこんな音がいつも聞こえるのだろうか?
「ククク」
誰かが僕を笑っている。
「ククク」
また同じ声が聞こえる。
「フハハ」
今度は違う声だ。
「フハハハハハハ」
声が伸びてきている。
「フハハハハハハハハハ」
どんどん伸びていく。
「ククク」
「ククク」
「フハハ」
「フハハハハハハ」
「フハハハハハハハハハ」
声が……音が混ざっていく。
もう、やめてくれ。
僕を……笑わないでくれ……。
「ククク」
「フハハ」
「クハハハハハハ」
……やめろ……
「クハハ……」
「やめろ!」
僕は声を荒げてしまった。
「……何? 今の?」
「あの人何?」
「なんで叫んだの?」
僕はいつの間にか周りに注目されていた。
……え?
何が起こったんだ?
僕は周りに笑われていた。
なのに……どうしていきなりしんとするんだ?
僕は叫んだ。
「やめろ! これ以上僕を笑うのはやめてくれ!」
「笑う?」
「いったい何のこと?」
「誰がお前なんか笑うんだ?」
「何の目的で?」
お前たちはいったい何を言っているんだ?
「はあ? 今まで僕のことを笑っていたじゃないか!」
「自意識過剰だね」
「いこいこ♪」
周りの人は去っていった。
お前たちは何を言っているんだ?
今まで僕を笑っていたじゃないか。
気のせいとは言わせないぞ。
僕は今日の出来事を忘れなかった。