みうらぬっぷ

日々美しいものに触れて感性を豊かに 中庸を保ち常に心穏やかで在りたい /場面緘黙/境界知能/発達障害グレーゾーン/ASD/パン/発酵/山村/育児/介護

みうらぬっぷ

日々美しいものに触れて感性を豊かに 中庸を保ち常に心穏やかで在りたい /場面緘黙/境界知能/発達障害グレーゾーン/ASD/パン/発酵/山村/育児/介護

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自己紹介①

2023.4.19更新 はじめまして。みうらぬっぷと申します。 クリエイター名の「ぬっぷ(nuppu)」は、フィンランド語でつぼみを意味する言葉。 ただ単純にぬっぷって言葉の響きが好きなのもありますが、未熟な自分がnoteでの表現を通して徐々に開花していきたいという想いもあって名付けました。 3年前、自然に寄り添った自給自足の暮らしに憧れて妻と九州のとある山村に移住し、村唯一の特別養護老人ホームに就職しました。 昨年10月末に娘が産まれてから1年間の育休取得させていただ

    • 自己紹介⑩

      前回の続きです↓ ・パンカフェで繋がるご縁 初めて働いたパン屋が暴言暴力の嵐で若干トラウマになっていたものの、パン屋がしたいという気持ちは変わらずあって独学でパン作りしながらも気を取り直して新たな修行先を探していた。 その間、リラクゼーションサロンに勤めている頃からよく通っていたパンカフェにちょくちょくお茶しに行っていて、ある日からそのお店の手伝いをすることに。 元バンドマンの店主(Uさん)がバーを間借りして一人営むお店で、パンが美味しいのはもちろんこと何よりUさんがとても

      • 自己紹介⑨

        前回の続きです↓ ・心折れてパン屋退職後、独学でパン作り没頭する パン屋を辞めて時間ができたのと退職したパン屋の店主から餞別にお店で使わなくなった小麦粉を大量にいただいたのもあって、しばらくの間ほぼ毎日パンを作っていたと記憶している。ネットや本などで食べたいパンや作りたいパンのレシピを調べて作ったパンのレシピや感想なとノートに記録していた。当時、北欧の伝統的なパン特にフィンランドのパンの独特なフォルムや未知の味わいに惹かれて生地に粗挽きのカルダモンを練り込むのが特徴のプッラ

        • 自己紹介⑧

          前回の続きです↓ ・パン屋修行開始するも過酷な労働環境と暴言暴力に耐えられず断念 パン漬けな日々が2ヶ月経った頃、求人誌で見つけた個人店のパン屋で働き始める。 東京の製パン学校で基礎を学び毎日約300種類のパンを販売する有名店で修行した経歴を持つ店主が営むお店で、求人誌に記載されていた独立開業を積極的に応援する内容に惹かれて面接を受けることに。 緊張して上手く話せなかったと思うけどパン屋を開業したいという熱い想いは伝わったようでその場で採用となる。 入店して一ヶ月ほどで通常

        • 固定された記事

          自己紹介⑦

          前回の続きです↓ ・全力でパン街道まっしぐら 頭がパンでパンパンな日々 仕事も彼女も同時に失ってからしばらくは体の芯が抜けたように無気力になっていたと思う。 気持ちを切り替えてこれから何しようかと考えて出てきた答えは一択で、真に好きなことを仕事にしようと思い立ちパン屋開業志す。 っというのも、高校生の頃TVで放送されていたアニメ「焼きたて!! ジャぱん」の影響でパン作りに目覚め、さらにはパン屋を見かけると素通りできない一種の病気のような症状が出始めて、自衛隊いた頃はそれどこ

          自己紹介⑥

          前回の続きです↓ 仕事も彼女も失って一旦人生リセットする リラクゼーションサロンでの仕事にやりがいを感じつつも、当時交際していた彼女に完全歩合制の今の仕事は辞めて安定した職に就くよう言われ続けて職種関係なく正社員雇用で高待遇な仕事探して求人誌と睨めっこの日々を過ごす。 実際に面接を受けたり試しにバイトしたりするもしっくりくる仕事はなくてなかなか転職できずにいた。 そんな悶々とした日々を過ごし入社して3年過ぎた頃、知り合いから今と同じ職種で尚且つ正社員雇用の仕事紹介されて今の

          自己紹介⑤

          前回の続きです↓ リラクゼーションサロン勤務時代 後編 入社してしばらくした頃、スクールの先輩が個人でイベント会場やパチンコ屋さんなどでマッサージブースを出店したり何やら面白いことしていて仕事とは別に手伝いを始める。 その中でも毎年開催される陶磁器イベントでの出店は自分の誕生日あたり開催されていたのもあってか、自分がこの一年間でどれだけ成長できたのか実感できる貴重な機会だった。 カフェブースの端っこの空きスペースにベッドを設置させてもらって台湾式リフレ(足ツボ)とクイック

          魂が震えた 阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」2023

          その日その時その瞬間魂が震えた。 日々慌ただしく過ごすうちに次第に薄れていくこの感覚をいつでも思い出せるように、余韻がまだ残っているうちに書き留めておこうと思う。 今年2月4〜5日に北海道釧路市阿寒湖「アイヌコタン」にて開催のウタサ(交わり)をテーマにアイヌの文化に触れる阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」2023 。 現地には足を運べずオンライン鑑賞ながら、儀礼・歌・踊り・アイヌ文化全般を伝承継承し続けている「ウタラオピッタ」と様々なアーティストが交わり織りなす音の響きやリズム

          魂が震えた 阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」2023

          自己紹介④

          前回の続きです。↓ 人の役に立てることに生き甲斐を感じてがむしゃらに働いたリラクゼーションサロン勤務時代 前編 台湾式リフレクソロジーのスクール卒業後、福岡の繁華街にあるリラクゼーションサロンに就職する。歳は20歳なりたての頃。正社員ではなく業務委託契約の為シフトは自由に好きな日数・時間自分で決めれたのと、勤務時間外と予約がない時間帯など空いているスタッフ同士で新たな手技の研修や練習できたのもあり、入社してしばらくの間はとにかく経験を積んで技術を磨きたくて用事がない日はほぼ

          自己紹介③

          前回の続きです。↓ 高校卒業後自衛隊入隊するも精神病んで半年で除隊 将来、人の健康や癒しに関わる仕事がしたいとかねがね思っていて高校卒業後はマッサージや整体を学びたいと父に相談したところ、その前に最低限大学卒業するか最低2年自衛隊入隊するかの二択を迫られ仕方なく陸上自衛隊に入隊。 コンビニのバイトで人と話すことに以前より自信はついていたけれど、そもそも人と関わった経験が乏しく体育会系のノリや集団生活に馴染めず、その上運動音痴で訓練について行けず同期に助けられてばかりだった。

          自己紹介②

          今回は、自分の今まで生きてきた道筋を記憶の古い順に思い出す限り書き出していこうと思います。 クレヨンしんちゃんに憧れた幼少期 ハッキリとした記憶はないけれど、幼稚園の自己紹介で自分の名は野原しんのすけで父はひろしで母はみさえだとしんちゃんになりきり自己紹介したらしいと母から伝え聞く。女の子のスカートめくったりお尻だしてケツだけ星人してたのはうっすら記憶している。 女の子に面と向かってブスと言って泣かせたこと、近所の男の子を猫の糞が付いた棒を持ってしつこく追いかけ回して後でそ

          もうなんかどうでもいいので全部曝け出す

          昔から自分のことを話すのは苦手である。 今回初めての投稿なので自己紹介しようと思うのだけれど、何から語れば良いかわからない。出身地は何処何処で趣味は何々で特技はあれこれでなど思いつく限り書いてみたら良いのだろうけど、いざ書こうとするとなんか違うってなる。素直に深く考えずとりあえず書いてみようかと思う反面、ありきたりなことは書きたくない偏屈さが確かにある。天邪鬼なのだろうか。両極端。反発し合う2人の自分がいる。ただ、言葉は沸々と湧いてくる。でも、支離滅裂でまとまらない。まとも

          もうなんかどうでもいいので全部曝け出す