2021/04/02

混乱させる出来事が起こったとき、アンソニードーアの描く子どもたちは息をつめてその秒数を数えたり、押し黙って身体に血液が巡る音を聞いている。わたしは彼らよりもずっと年上なのに、てんでだめだと思った。そのような状況で自らを落ち着かせる術を持たず、すぐに耐えられなくなるから。そこで何が自分の感情を乱しているのか、一つ一つ書き出す癖をつけ始めた。原因をきちんと理解すれば解決法を見出すことができるし、自分を客観視して心を落ち着かせられる。

しかしその方法をもってしても、辛い日々は続いた。書き出す悩みに対し早急な対応ができないこと、もしくは解決の糸口が見つからないことが続いたから。そのうちに心の余裕が失われて、たとえ小さなもつれでさえも、大きな糸くずになってしまった。嫌なことは書き残したくなかったからもう残っていないけれど、しんどかった。

今も問題は解決されていないし、きっと明日からもそのような要素は増えていくだろう。なんたって季節の変わり目なのだから。それでも今日、心の底から希望を捨てずにいようと思えた。あまりにも個人的であるから、鮮やかなコペルニクス的転回の理由は書かないけれど、なぜ夜と霧が名著とされるのかを理解した。大好きなキッズリターンの最後の台詞が胸に迫ってきた。そしてわたしは青い春の青木のように謝った。

「さっきはごめん。」

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