私とフットボール
かつては「浦和を制する者は全国を制する」と言われたものです。
主に高校サッカーでの話ですが、最近では昌平高校が冬の選手権でベスト8が主だった戦績です。2010年以降では、12年にインターハイで武南が準優勝したのが最高です。
選手権の60回大会で武南が優勝したのが懐かしい・・・
どうしてこんな状況になったのか!?
1993年にJリーグが始まり、各チームは下部組織の編成は必須です。
浦和も大宮も小学生のジュニア年代からチーム編成していきます。
施設の整ったJの下部組織に、どの親も行かせたいと思うでしょう。
少年団活動が活発な浦和において、かつてはJチームと約束があったと聞いたことがあります。
この年代においては、少年団活動を優先するということです。
選抜チームの「FC浦和」は強豪で、全国大会でも優勝したことが多々あります。(近年ではそのお約束もなくなったようですが)
よって、高校年代でもでプレーするのは、ユース所属以外の選手と、どうしても「高校サカー」でやりたい選手になるわけです。
埼玉の場合、県北は群馬の有名強豪高に流れることも多いです。
現在ドイツでプレーする原口選手は熊谷出身ですが、レッズのジュニアユースが特別待遇で引っ張ったと聞いています。
そんな理由で高校サッカーに人材が集まりにくくなっていると考えます。埼玉だけの事情ではないでしょう。
そう考えると、Jチームの少ない東北では「青森山田」に人材が集まるのも理解できます。「青森山田」の場合は名将を慕って全国から集まってるとも言えますが。
私のサッカーこと始め
幼少期よりサッカーはことのほか好きで、テレビで日本サッカーリーグをよく見ていました。お気に入りは三菱重工で、サッカーゲーム(もちろんボード盤)でも三菱を必ず手にしてました。
左サイドを疾走する杉山選手がアイドルでした。
中学時代は、浦和南高校が選手権で二連覇していた時です。田島(サッカー協会会長)、森田、川崎、加瀬、水沼、田中、野崎、良い選手がそろっていました。
速攻でも遅行でも出来る、テクニックある展開の大きなサッカーが魅力でした。ゴール前で2人がスルーからのゴールなんてのもありました。
当時はテレビにかじりついて見てました。
文化放送の深夜の「セイヤング」で、よく「浦和南高校の〇〇さんにプレゼント」とリクエスト曲がかかってました。羨ましかった。。。笑
その後は、武南高校の60回大会の優勝を最後に、優勝からは遠ざかっていますね・・・⤵
県予選も決勝を残すのみですが、今年は母校が県予選のベスト4まで勝ち上がったので嬉しかったですね。そこで南校に負けちゃいましたが⤵
推しチームは当然「浦和レッズ」!
プロ化が決まり、本田や日立が浦和に来るとか噂が流れましたが、最後に三菱が決まった時には万歳しました!!(^^)!
海外のチームやワールドカップのことは、また別の機会に触れたいと思います。
浦和とサッカー
自分は中学から大学まで陸上競技をやっていました。
ですが、5、6年生の頃からソフトボールと共にサッカーはよくやっていたと思います。放課後、校庭の場所取りが大変でした。6年時にはクラス対抗で優勝し、浦和市の大会では準優勝しました。
「少年団」が出来たのは6年の時です。(なぜか未所属)
中学の時も昼休み、部活の後、暇さえあればサッカーしてましたね。
野球部とはよくやってました。
その時やっていた常盤中学のメンバーで、23~4の頃にチームを作って浦和の市民リーグ(当時は1~4部制)でやってました。チームは現在も継続していて、なんとAチームは来期は1部だそうです⤴👏
当時は万年3部。時には4部もあったかな。(*'▽')
そして、1974年の西ドイツワールドカップの決勝を「三菱ダイヤモンドサッカー」で見たのが決定的でした!!これが世界の「フットボール」なんだと!
ゲルトミュラーの得点力におののき、ベッケンバウアーの背筋をピンと伸ばしたエレガントなプレーに酔いました。
それよりも神出鬼没のクライフに魅了されましたね。
ディフェンスラインにいたかと思ったら、あっという間に最前線!
「空飛ぶオランダ人」は凄かった~!!
自分のチームの引退後は、日曜日の朝に小学校の校庭で地元の方々が集まってサッカーしてました。小学生から60代までサッカー好きが集まってやっています。総勢40~50人前後は集まります。
ここは自慢できるところですね。
ちょっとサッカーから遠ざかっていても、誰もがそこに行けばプレーできる。
良くないですか!?ここは北浦和の自慢できるところです!!
私は、現在はサッカーは休み中。
年と共に筋肉系のケガが多くなり、3年前の脹脛の肉離れを最後に遠ざかってます。ランニングで鍛えてから、また機会を見つけて再開したいですね。