リリィ
ここ数日、一部のメロディと歌詞が浮かぶけど何の曲か分からない歌があってなんだろうなあとずっと考えていた。
最初で最後の恋人~の部分だけやたら頭に流れて、きっとBUMPの歌だよななんてところまではわかっていて。
Googleで検索したらリリィでした。
あ、この曲リリィって名前だったんだ、というところから、じっくりこの曲を聴いてみたのです。
そしたらね、この曲に出てくる「君」って人がね、すごく余裕があって愛が深い人だなあ、なんて思ってしまって。
弱音を吐く「僕」を見て、幸せそうに笑って、「僕」は怒鳴るわけですよ、まじめに聞けよって。(キッズじゃねえか!モラハラじゃねえか!と思うわたし)
でも「君」は「かわいいヒトね」と言って笑うわけです。
昨日までさ、わたしはどんな方向に進んで、何を頑張ったらいいか分からなくなっていました。
ここで少し光が見えたわけです。
やっぱりわたしは余裕がある顔していたいし、苦しい顔なんて見せたくないわけです。飄々と酒飲みのいい意味で狂った可愛い女として生きていたいわけです。
どんな結末に直面していも、「いいの!わたしの勝ち!」と思えるようなわたしがいい。
昨日からずっと仕事や後輩のことでもやもやしていました。
まず、仕事に関しては「やっていいのかな…どうしよう…」と新しい部署でもぞもぞすることがありますが、やらなくて後悔するならどんどん突っ込むしかない。悩むならやるしかない。どうしたらいいかな、これでいいのかな、やった方がいいかな、と悩むならやるしかないよね。
月曜日からは一皮むけたわたしで頑張ります。
力んでると思われたくないし、あくまで飄々とした狂ってる可愛いわたしで頑張ります。
あ、飄々とした狂ったわたしについて説明しますね。
わたしは職場では自己ブランディングというか仕事しやすいようにキャラクターを作っています。
まとめると、飄々とした狂っている女、なんですけど。可愛い女でもありたいから飄々とした狂った可愛い女、を目標に掲げていますけれども。
ガチの私的な感情を一切職場に持ち込まないというか、イライラすること、好き嫌いに関してはストレートに顔や言葉に出さない。
かと言って無表情とかでもなくて、いったんそのストレートな気持ちを自分なりに濾して、コントロールされた表情や言葉で外に出しています。
クレームなどを受けることが多い部署で、正直ムッとしてしまうことがあるのですが、来客対応中は心を殺して優しい対応をして、そのムッとした出来事をおもしろおかしく人に話す。
仕事はしっかり行うけど、休む時はしっかり休むし、ジャニーズなどへ愛情を出してそれを理由に仕事を休んでも許される空気を作っていました。(実際にそれで休んだことないけど)
異動前はそんなわたしでいることが素になっていたというか、職場がホームになっていたのだよね。
例の後輩の件で心がおかしくなっていた状態から回復してきたとき、新卒から2年半くらい面倒みてきた後輩に、「かっこいいみゅうこさんに戻りましたね」って言われてトイレで泣いた日のことを思い出せ~。
そんなわたしであり続けたいよね。
先輩からまた一番下っ端になってしまって戸惑うけど、わたしなら大丈夫。
自信がないのって、多分積み重ねが足りないからだと思っていて、積み重ねがあると「自分はすごい」とかじゃなくて、何も思わず普通にしていられるんだと思うの。
仕事って選択して決断するってことを大きくても小さくてもやっていて、自信がないと小さいことすら決めることがこわい。けど、積み重ね(自信)があれば何も考えずに決めることができるもんね。
時々、根拠のない自信が必要になるときがあるけど、その根拠のない自信も多分いろんなことの積み重ねだと思う。根拠がはっきりしないけど、いろんな自分は大丈夫って思えたことの積み重ねなんだと思う。
だから、仕事において今の私にできることは、とにかく、やること、進むこと。悩んでまごついている暇などない。やる。
後輩のことに関しては、結局のところ仕事で物理的に離れることができたのにズルズルご飯に行くという選択をしているわたしが悪い。
というか、気持ちがモヤモヤするくらいなら、モヤモヤしないところまで離れる、ということは私が選択できることであります。
自分で自分を苦しめてどうするのだ。
そしていろんな人に言われます。「そんな人に悩む時間もったいないよ」と。
仕事の話とも通ずるけど、悩んでもどうにもならなくて、なんならブスになるだけで。
そう思うと、悩む意味とは????という結論に達するわけです。
そして、これまでのわたしは可愛くなりたいというエネルギーがありました。足踏みして悩んでいると、そういうエネルギーすらなくなっていきます。
でも思ったのが、誰か(後輩を見返す!とか特定の他者)に向けた努力って、相手に反応してもらえて初めて成果を感じられる努力、じゃないですか。
でも、こういう努力をしても成果(あいつ可愛くなったよなあ、惜しいことしたなあ、みたいな)って己の耳に入ってくることって様々な条件がそろわないと難しいですよね。
そもそも特定の誰かに向けてする努力って、その向かうべきところを失ったときに、めちゃくちゃつらい気持ちになるし。
わたしはなんで可愛くなろう、きれいでありたい、って思っていたかって、何かつらいことが起きたときに自分が惨めだって思わないためだった。
辛いことがあっても、「まあわたし美人だし~~」のマインドがあれば何事も取るに足らないよね。
そこに至るのにはいつになるやらって感じではあるけど、きれいになるのは間違いなく自分のためなのであった。
この努力の結果、わたしのことけちょんけちょんにした男性たちが悔しい気持ちとなればラッキー、くらいな話だよね。
わたしがしんどいときに一緒にいてくれない人は嫌だし、わたしの愛情に気が付かない人も嫌。
好きな男の人の前では謙虚でありたいけど、わたしの謙虚さに対して不誠実な行動を返されたら、わたしは抜刀斎精神剥き出しでいく。(抜刀斎精神とは)
そしてわたしの悲しいはわたしだけのものだけど、わたしを救ってくれる人はたくさんいるね。
今日は整体に行ったら整体のおじさんも気持ちが落ちていたらしいけど、わたし(常連の中でも可愛がってくれているらしい)に会えて元気出たと笑ってくれたし。それに元気もらった。
そのあとコンビニに行ったら、前の職場のわたしの心を支えてくれていたパートさんに会って、ここ最近の小言をたくさん喋ったらすっきりして元気が出た。否定するでもなく、ただただ話を聞いてくれるからわたしは救われるんだろうな。
こんな暗い気持ちになるくらいなら、ブスになるものなら、わたしが背負うことではないのだ。何度だっていうけど。
かわいい私になるところまで、前向きになれる安全地帯まで、自力で避難しよう。時に誰かが助けてくれたりするけど。
仲が良いひとつしたの後輩女子がいる。
その子は正しい方向を信じて努力してた。わたしみたいに斜に構えていなかった。その姿勢を見習いたいとも思ったよ。
その子と明日会うし、前向きな力をもらってきます。
今日はちょうど1年前くらいにはじめたnoteを読み返してみたけど、例の後輩とこんなことになるなんて思ってなかったよね。
1年後のわたしはどうなっているんだろう。
三橋くんと仲良かったとき、いなくなったとき、立ち直ったとき、例の後輩と何かはじまったとき、こんな今があると思ったっけか。
全部思ってもないよね。
だから、今年もあと2ヵ月で上半期終わるけど、この2ヵ月で何が起きるか分からないし、年内に何が起きるか、来年何が起きるか分からない。
逃れられない別れはあるし、落ち込むことだってあると思う。
後悔がないように、自分は正しいってなるべく思える方を選びたいな。
目標も進むべき方向も決まったので、あとは動くだけ。
動き続けるだけ。
たまに休んだっていいし、悩んでもいい。
わたしはその分前に進めます。
明日から5月。
気持ち切り替えてパリッと素敵なわたしでありましょう。
ではまた。
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