ちゃんと厄年だった
年の瀬。あと6日間で12月も終わる。1年を振り返ってみると…
41歳となった今年はちゃんと厄年だった。苦笑
2024年1月から新しい部署になり、新たな仲間、新たな上司と、新たな仕事をする中で、理想を描き、色々主体的に動いていったつもりだったが、その理想と現実(その理想を切り開くための自分の実力や道のりの長さ?険しさ?孤独感?)の間で悩み、4~5月ころに失速。
プライベートでも息子の小学校のPTA会長として、色々改革を夢見ていたが、仕事のやる気が落ちると同時に、こちらもやる気が落ちる。こんな自分にできるはずがない、と自己肯定感がだだ下がってしまったのだ。(PTAメンバーには途中まであれだけリードしておいて、いきなり失速して申し訳なかったな~。苦笑)
昨年の今頃は、「今まで『いい学校入っていい会社入れば幸せ』という価値観で育てられてきたが、それは真っ赤な嘘で。ちゃんと人生の早いステージ(中学高校とか?)で自分のやりたいことを探し、もがき、向き合う中で、自分の人生を主体的に生きることが大切。それをサポートできる親や先生以外の第三者的な良い大人(自分の人生を生きて楽しんでいる人)と出会うことも大切。そういうことを子供たちとその子供たちを育てる親に伝えていきたい。これからは教育改革に生きたい!」と決意していたのだが…
PTA通じて、色々な教育界の状況や情報を知るたびに、そうした主体的キャリアの切り開き方の問題以外にも、不登校の問題、自殺の問題、先生方の働き方の問題、障がいのある子どもたちを含めたインクルーシブ教育の問題等いろいろな問題が見えてきて・・・あれ?主体的キャリアの優先順位って高いんだっけ?やるべきところはどこ?とか見えなくなったり・・・
あるいは、地域で児童館や青少年委員会やボランティア等、色んな人が色んな取り組みをしていて、それらの団体と自分がPTAでやろうとしていることの差ってなんだっけ?とか、別にやる意味あるのかな?とか悩んだりして…
そこに自分の仕事がうまくまわらない(というか、理想と現実のはざまで勝手に悩む41歳を演じていて?苦笑)状況に、自己肯定感が色々下がっていき…
5月~10月くらいまで、一人で暗い道のりを歩んでいた。
その状況に妻も「またお得意の悩みどはまりかよ」的な感じで見放され…
孤独だったな~。苦笑
それでも、そんな状況を打破するために。
残り人生40年、何やりたい?何しているときが幸せ?とか色々色々ぐるぐるぐるぐる考えて…
あ~こうやって文章書くの好きだよな~。
誰に頼まれているわけでもないのに、こうやって文章は不定期だけど書き続けているな~と思い…
たまたま見つけた文章講座「文章で生きるゼミ」(日本仕事百貨主催)のオンライン講座に申し込んでみたのだ。
そしてこれは一つの大きな転機となる。
はじめ、文章を書く講座だから、文章の書き方とかコツみたいなものを習うのかな~くらいに思ってた。でも、講座に登壇してくださった6人の講師たちは、「自分が文章にどう関わって生きてきたのか」という生き方やスタンス、人生談みたいなことを語ってくれて。その人たちのその生き方考え方が魅力的で。なんていうか、今の社会の生きづらさと向き合い、自分たちなりに自分たちなりの形で解決していこうと、一人で始め、そこに仲間がぽつりぽつりと集まり、そして静かなる改革を起こしている、そんな熱い人生話を毎回聞けて…
その人たちの講義を聞いて、そのあと、その人たちが書いた文章(書籍)を読み、そしてその人たちがやっている仕事場(ある講師はカフェ店主だった)に行き、そのワールドを感じ取り…
そしてその刺激を受けて、改めて、自分はどう生きたいのか、何をやりたいのか、を考えたときに…
あ~「コミュニティデザイン」やりたいんだ、私は。と思った。(突然。笑)
今の会社に入って5年目~9年目くらいで労働組合の仕事をして、本社支部というところの支部長をして、10人くらいの仲間と一緒に、本社の仲間のために、現場で働く仲間のために、動き、イベントを企画し、機関紙を発行し、団体交渉で経営陣と喧々諤々の議論してり、またそれを受けて仲間と話し合ったり…楽しかった。
そして結婚して5~6年たったときに、コレクティブハウスという北欧型シェアハウスに引っ越して、月に1回20~30人分の食事を作り、住人達とコミュニケーションをしたり、一緒に流しそうめんや餅つき大会のイベントを企画したり、防災に備えて防災食の試食会やったり、他人なのに家族や親せきかのような関係を作れたのは楽しかった。
そして今、PTA仲間と一緒に子供のために、何が出来るだろうか?あるいは、親世代が楽しくつながるには何が出来るだろうか?と一緒に考え、プランを練り、実行に移そうとわちゃわちゃ話し合って、繋がっているのが楽しいのだ。
教育改革というとちょっと自分には手が負えないでかいテーマだったけど、コミュニティデザインだったら、小さくでも出来ることはある。それがうまく広がっていって仲間が多くなれば、「コミュニティデザイン×教育」みたいなこともできるかもしれない。
教育改革なんて大風呂敷を広げずに、自分が出来ること&やりたいことを自分の出来る範囲でちょっとずつやればよかったのだ、と今更ながら納得した。
そして仕事でも…
もし今の会社に残るのであれば、コミュニティデザイン的な生き方につながる仕事が出来たらよいなと思うし。別の会社に移って、コミュニティデザインど真ん中の仕事をするのも良いかもしれない。
あるいは、プライベートでコミュニティデザインをするなら、仕事は逆にちょっと違うことをやったほうがバランス取れる可能性もあるな~と思ったり。
いずれにせよ、仕事も(大会社ゆえに)オペレーショナルな仕事をただただ淡々とこなすのは、自分には向いていないしつまらなくて。何か少しでも良いから、自分の意思をこめて、自分がクリエイト(創造)する側になったほうが楽しいのだよな、と思ったりして。(当たり前か)
そういうのって、何か同じ仕事をしていても、意識が異なるだけで、楽しかったりつまらなかったりするから、結構難しいよな~と思ったりする。多分大会社だとオペレーションまわる仕事やるだけでも給料もらえちゃうし、そんなに簡単に会社つぶれないから、それでいいじゃん、とつまらなくても甘んじてしまう人間の弱さがあるのだろうな~。
本当は、当たり前だけど商売やっていたら、お客さんにとってのバリュー(価値)を作れなきゃ、お金はもらえないわけで。サラリーマンだって価値ある仕事しなきゃダメなんだけど。(それでお金もらえちゃうのが、サラリーマンの強みであり弱みだよね)
だから…2025年は副業やろうと思う。
もうアイデアはあるし、すぐに始められることなのだが、今ここで宣言しても、始めないと意味ないので、始めたらまたここに書こうかな。
副業やって、小さくても良いから、自分で稼ぐを、ちゃんとやってみたい。
それが41歳からの新たなスタートになる気がする。
来年は後厄だけど。そんなの気にせず、良い年にしてやる。
(いや、今年もなんだかんだ、後半良い年だったのでは?という気もするぞ)
では、皆さん、良いお年を~。
なんて、12/末までに(気が向いたら)また書くかもしれないけど。笑