年末のこと
この年末は碌なもんではありませんでした。返す返すも碌でもない。ほとんど良いことが無かったと言っても過言ではないでしょう。
まあ半分ほどは身から出た錆とは言え、それにしても碌でもない。
碌でもない碌でもないとは失恋のこと。失恋のこととは思いが叶わなかったこと。世も末ながら、愛故に人は苦しまねばならんのでしょうか。私の年末は悔いばかり、恥ばかり。恥の多い人生とは言いながら、彼はモテモテだったじゃあないかと餅を焼くばかり。それならばグッドバイとでも泣き喚きながら京都の街を走り去りたいものです。
幸せは歩いてこないらしいですね。だからといって歩いて行くと、況んや泣き喚きながら走ろうものなら、道に迷うこと必定。ケビン・リンチが言うところでは、道に迷ったという感覚は「徹底的な不幸」を意味するそうです。即ち、理論と実践から、無闇矢鱈にうろうろするよりはじっとしてた方が幸せであると言えます。
さてもさてもそれゆえに、12月は、愛も勇気も無ければ、酒だけが友達でした。酔ってクリスマスなんてクソくらえですよと言ったことも覚えています。
飲めば飲むほど私の視界と体内時計はアクセルベタ踏みで空回り、世界とのずれを益々大きくし。そもそも眠れない夜が増えてきて僕はダメだなぁなどと思って寝酒なのだという言い訳をして飲んでいるのです。さればお天道様に顔向け出来ませんから、昼過ぎに起きる日も多少。
セネカが『人生の短さについて』で述べるところによれば、人生の浪費の最たるものが酒と性であるらしいのです。ええ、正しく。私の年末は無に等しいと言えるでしょう。
1月も後半に入ってからは心の平穏を回復し、酒にこそグッドバイを告げ、睡眠と労働で常なる閒有きです。
年始におみくじを引いたら大吉でしたが(これにて全く以っておみくじについての戦いは一旦の終結を見た訳なのですが)、恋愛とか知らんけど勉強する限りにおいては良いから勉強せえよ勉強、と書いてありました。
醜聞に恥入って、竜でも劉でもないですが、酒の淵に潜んだ年末でした。はや春分でありますから死んだ愛よりなりわいを探したいと思います。
そちらも気が進みませんが、少なくともいくらかは幸せに繋がるでしょう。