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今年の秋

歓喜せよ。あの凄まじい夏が去り、今やようやく秋である。
ドアを開ければその瞬間から、全然ハビタブルではない太陽系第三惑星の大気に圧される生活。さながらエアロックのように、外へ出る覚悟を決める場所であった玄関。そんなものは全て過去のもの。そんな旧世の遺物は涼やかな秋風に吹き飛ばされて見る影もなく。今や外の世界にいかなる困難も存在せず、エリジウムでエデンで桃源郷こそがここにあります。

何らの生産もしない学士風情です。
さながら織機の飛び杼のように研究室と家とを往復する日々にあまり季節感は存在しません。春の芽吹きも夏の青葉もほとんど縁遠く。大学の行事と温度によってのみ僅かに季節を把握するのです。しかしながら、夏の暑さは猛烈を極め、汗を流して自転車を漕ぐ日々。嫌が応にも夏を思い知らざるを得ず。
今やこの夏の終わりを迎え、歓待し、歓迎し、祝いの心すら湧き上がるのを感じます。祭りがイベント化して久しいこの頃。かつての収穫祭や太陽の祭りとはこのような喜びの発露であったのかと、あるいはバスティーユの騒動もプラハの春も圧政打倒の希望はこのようなものだったろうかと。
これはやはり秋の訪れを、悪逆非道の夏の終わりを祝わねばなりますまい。

秋の始まりは正に秋分の日。琵琶湖岸。
夕闇に奥ゆかしい波の音。水面には遊覧船ミシガン号が浮かび、渚には仄明かりのカフェテラス。西北からの風が辺りを吹き抜けて。秋よ秋よの良い日暮れ。
つまりは研究室から抜け出て訪れた滋賀県は大津。
傍らには同じく論文に四苦八苦する学生が少し。
連れだって出てみれば俄に夏は終わって、やにわに秋の訪れを知りました。
その喜びは先に書いたとおりにて。然れども夏が終われば秋を過ぎて冬が来て、それは要するに論文提出の締め切りをもたらします。日が沈み、風を受けて辺りは暗さを増して行き、夏の日の半袖に寒気を感じる暮れ六つ。常の懸案事項が影を落として、日々を惜しんでは秋の到来に不安を覚えます。

どのような人であれあの夏の暑さを共有した人であれば声を合わせて歓喜していることでしょう。
しかし、一年に季節は四つとはいえども、昨今は夏の勢い凄まじく。秋は今や、織姫と彦星の星々の上での逢瀬もかくやの恋しい日々となりつつあります。祝っても祈っても刻々とその日は短くなり。
そして論文は終わりません。素直にこの秋を喜べない私たちは泣く泣くまた研究室への戻るべきでしょうか。
願わくば秋がせめて幾分長く続きますように。

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