一週間日記(6/8-14):明け方の夢
6月8日(月)
気のせいかもしれないが満月の前後、うまく眠れない。夜中に何度も目が覚め、明け方〜覚醒するまで悪夢を2・3本立てで見続けるハメになる。
ひとつめの夢ではわたしは小さな骸骨を3つ持っている。骸骨は小さいが人間のもので、この人たちが死んでしまった原因はおそらくわたしであることを自覚している。だがその罪がなんなのかはわからない、後味のザラついた感じの夢だった。
もうひとつのほうでは、わたしは教会に隣り合った広場で集団避難生活をしている。教会は何者かによって爆破され、がれきが降ってくる。その下から大切なものをひろって箱に詰めていく。もうそこにはいられないことが悲しくて仕方がない。そしてすべての世界が薄ピンクに染まり、終末の雰囲気が漂う。爆破を逃れた教会のベンチに座りなにかを祈り続ける。
起きてからも軽い頭痛が続く。仕事。朝ごはんはなし。昼食は小松菜と玉ねぎのお味噌汁となめたけ、うめぼし、お米で一汁一菜。
買い物に出られなかったので夜も同じメニュー。そのあとすこし眠ったらすっきりしたので考え事をする。
6月9日(火)
引き続き微かな頭痛を感じる。今日も暑い。このごろでは日中30℃まで必ず上がるようになった。
午前中は仕事が忙しく、イライラする案件があったため久しぶりに腹を立てていたらあっという間に時間が過ぎていった。われわれはそれぞれに異なった思考回路を持っているのだ。お昼ごはんを買いにコンビニまで行き、ついでにケーキ(2個入り)も買う。
ブレイクタイムはコーヒーとチーズケーキ。『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』を見た。とてもハッピーなテンションを持つ映画だったので楽しく見ることができた。見ているうちにだんだんこっちもつられて笑顔になっちゃうタイプの。出てくる料理はほんっとおいしそうだし、女性は全員美人だし、ユーモアのセンスも好き、と思った。
閲覧席の使用以外はOKとなったので実に3ヶ月ぶりに図書館に行ってきた。最高! 本がいっぱいある。3冊借りてスーパに寄って帰宅。レジ待ちのソーシャルディスタンスが日に日に短くなっていく。夕食は半額のブリのお刺身となめこのお味噌汁。なめこってお味噌汁にする以外のレシピで食べたことあんまりないな。借りてきたうちの1冊、フィッツジェラルド『夜はやさし』を読み始める。
6月10日(水)
ようやく頭痛が引く。朝食はくるみデニッシュとコーヒー。昨日スーパーで見かけてデニッシュなんてついぞや食べてないなと思って買った。やわらかくてすぐに胃の中に消えていった。午前中はまじめに仕事。やっぱりちょっと忙しい。
コーヒー粉を切らしそうになって、でも今日は夕方前から雨降ってくるし、明日も一日雨でスーパーに行けないので、仕方なくコンビニへ。
途中、二人組のおばあさんに声をかけられ、〇〇(ショッピングモールに入っているようなローカル服屋)ってどこにある? と聞かれる。このあたり一帯に〇〇はないはずだけどなあと思いつつ、少なくともこっちの方向じゃないですよと答える。二人はありがとうと言ってどこかへ去っていき、わたしはコーヒー粉とカルピスとアイスの買い物を済ませた。帰り道を歩きながら、そうか最寄の△△駅と一字違いの駅とを勘違いして電車を降りちゃったんじゃないか、と気づく。十分あり得る。さっき気づいてあげられればよかったが、二人の姿はどこにも見当たらない。
昨日のケーキ(2個入り)の片割れを食べる。『夜はやさし』の続き。ところどころ理解できない部分があるにも関わらずぐいぐいと引き寄せられるように読める。ひとつの文章が次の文章へするりとつながっていき、ひとつのシーンが次のシーンへと自然に移行していく。
夜ごはんにとうめしを作った。見た目はそれっぽいが味がぜんぜん染みていなかった。煮物は冷めるときに味が染み込むので、完全に冷まさないといけなかったのをおなかがすいたので食べてしまった。明日の分も残してあるので、それに期待。
雨は降ったり止んだり。かなり涼しい。東海地方も梅雨入りしたらしい。
6月11日(木)
今日は一日中雨。忙しいのが続く。湿気がすごくて、水の中にいるみたいで息苦しい。
お昼ごはんはキムチチャーハン。夕飯は大根と豚肉を煮たやつ、ピーマンとツナの醤油和え。先週見はじめた『マリッジ・ストーリー』続きをようやく観賞。最後まで見終えた。ニコールが弁護士にどうしてこうなったかについて訥々と説明する長回しのシーン、すごかった。演技の迫力もだがセリフが凄まじく的確だった。「妻であり母であり、それで終わり」。
6月12日(金)
今週は忙しかったからなのかあっという間にまた金曜日が来たという印象。いつも午前中には目処がつく仕事は午後まではみ出し、しかもトラブル発生。夕方また頭が痛くなる。PCの画面を見続けるのはつらい。
仕事を終えて一時間ほど休み、薬局とスーパーへ。土日もずっと雨予報なので買い置きしておきたいが、ぐるぐるとスーパーを見回ってみても何を買ったらいいのかわからない。どれも良さそうにみえるしどれもピンとこない。食材からメニューが立ち上がらない。あきらめて、ベーシックなカレーがつくれるもの(じゃがいも、にんじん、たまねぎ、とりにく)を買って帰る。
そのあと急にねむくなって寝てしまう。
6月13日(土)
きのう夜ごはんを食べてから22時くらいまで寝てしまって、また起きて、再び寝たのは3時過ぎだった。ので、昼過ぎまでぐだぐだと眠っていた。また一日中雨が降り続いている。
本を読んだり文章を書き始めたり、すこし何か集中してやりかけると、ふと違うことが頭に浮かんで意識が分断されてしまいぜんぜん集中できない。今日一日何をしていたんだと言われると何かはしていたんだけど何をしていたのか具体的に思い出せない、みたいな、そんな一日となった。
6月14日(日)
12時過ぎに起床。休みの日でもせめて午前中には起きたいのだが、なかなかできない。これを思うのをもうかれこれ二十数年続けている。
お昼ごはんはカレー。今日も一日雨の予報だったが、降っていない。文芸誌の『新潮』と『群像』7月号がほしくて近所の本屋まで行ったが予想通り売っていなかった。大きい本屋に行ってもこのあたりの文芸誌はないことが多くて困る。結局ネットで探し『新潮』と『文學界』(『群像』は超高値だったのであきらめ)をアマゾンで買う。
なんとなく映画館で映画を見たい気分だったが、来週から見たい映画が続々公開される予定なのでそれに備え、行くのをやめた。「それに備え」とはつまりそれに当てるためのお金をセーブするために、という意味だ。「映画館に行くか/行かないか」で悩むなんて最悪だ。お金で映画を諦めるなんてほんとに最悪の気分になる。好きなものにお金を使えないなら働いている意味がない。なんなら生きている意味もない。今日チケット代の1900円を払ったからといって、明日食べるのに困るとか家賃が払えなくなるとか、そういうわけではまったくない。のにも関わらず、ためらいが生じてしまう。こんなことは二度とないようにしたい、と思いながら炊き込みご飯を食べた。湿気がすごくてどこもかしこもべたべたべたべたするから、頭の中もべたついてるのかもしれない。