何者にも囚われないということ
何をするにも何かに囚われている気がする。
例えば、あんなに気に入って買った口紅も
「え。これ外で見ると派手?」
と途端に不安になる。
何気ない会話の中で出てくる
「何の音楽聞くの?好きな映画は?」
の問いに答える時ですら
センスがないと思われたらどうしよう
なんて、しょうもないことに囚われて
もごもごする始末。
本当にしょうもない。
けど、このしょうもない自意識と
どうしても決別することができないまま
30年近く経った。
1ヶ月前、人生初めてのパリに行った。
本当に最高の街だった。
アメリカよりフランスが好きかなぁなんて
カッコつけて言ってたけど
本当に好きな街になった。
エッフェル塔の真下にある芝生では
みんな寝っ転がって携帯なんか見ずに
空を見上げておしゃべりしていたり、
セーヌ川には西日が当たって
水面がキラキラしていて。
日曜の真っ昼間にカフェのテラスで
おしゃれなカップル?夫婦?が
白ワインを飲みながらポーカーをしている。
早朝にはピンクのニットに
ミニスカを履いたランナーが
ルーブル美術館の周りを走っていたり、
老舗高級デパートでは
GUCCIのスカーフを巻いたチワワが
我が物顔で歩いていた。
デパートの店員はみんな制服なのか
黒一色なのに何故か
個性がしっかりと現れていてかっこよかった。
めちゃくちゃやる気なさそうに
スニーカーのサイズを聞いていた
カーリーヘアのあの店員も
抜群にオシャレだったからなんだか許せた。
ズルい。
パリの人たちは自由だった。
おしゃれではあるけど、トレンドではない。
アイデンディティがしっかりとある。
着たいから着ている。
寝たいから寝転んでいる。
携帯なんか見ずに目の前の人と
この時間を楽しむ。
ふと、
携帯ばかり見ていた自分が恥ずかしくなった。
何かに囚われていたのは、
他の人を見る機会が多すぎたからだ。
SNSでどうしても見てしまう
トレンド、今の流行り。
その通りにしなきゃと
どうしても思ってしまっていた。
何者にも囚われないこと。
自分としっかり向き合うこと。
人から見てどう思われるかなんてことは
最優先事項ではない。
自分が着たい
こうしたい
自由とはそういうこと。
SAHARをどういうお店にしていきたいか
自分はどう歳を重ねたいか。
パリに行って少しは見出せた気がする。
また行きたいな。Paris。