miu3624

1963年生 青森県弘前市在住

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最近の記事

あの頃を思い出した

奈良美智展(青森県立美術館)の内覧会で学生時代の同級生とそのお姉さんに会った。同級生は金髪だった。「ああ、そうかもう退職したしなぁ。」と内心理解した。我々ももう還暦だ。なんか解き放たれているのかなと思った。 学生当時、ANくん(同級生・女性)とAOくん(姉)とみどりさん(母)は3人暮らしだった。AOくんと奈良さんは小さい頃からの幼馴染で、時折みんなで会うと奈良さんと私は彼女を「カワナカミユキ」と密かに呼んでいた。また、ANくんに招かれてよくお家へお邪魔していた。女性だけのおう

    • 繋がる。1952年黒石ー広島

      1951年、前年黒石小学校に赴任していた26歳の鈴木喜代春は朝鮮戦争勃発にかりたてられ、当時担任していた4年5組の生徒にソフニ書店でみつけた長田新編『原爆の子』を二日、三日と読み聞かせをした。 そして戦争についての話し合いを広げ作文や詩を全員に書いてもらった。それらは10月29日発行の学級文集「みつばちの子」4号「戦争と平和」に掲載された。その頃、作文教育が全国的に展開され「学級文集」「学校文集」の交換が行われていてこの号も全国に送られた。すると大きな反響を呼び多くの雑誌、

      • 『原爆の子』と鈴木喜代春

        広島に原爆が投下されてから6年後、黒石小学校の教師だった26才の鈴木喜代春は当時受けもっていた4年生に長田新編集『原爆の子』の読み聞かせをして、生徒全52名に詩や作文を書かせ10月26日に学級文集「みつばちの子ーせんそうと平和」4号を発行した。その中に飯口昭子さんの詩「ピカドン」もあった。全国で作文教育が実践される中でこのような文集が作られ交換が行われ「みつばちの子」は全国的に大きな話題となった。そんな中で生徒45名の作品がさがわ・みちお編「お父さんを生かしたい」青銅社(19

        • 1952年のヒロシマと青森県黒石市の少女

          飯口昭子と峠三吉 1952年、峠三吉は『詩集 原子雲の下より』発行のため作品募集を呼びかけた。「おねがい」と題されたその文章の中に、青森県黒石市小学校四年生の飯口昭子さんの詩が一編用いられている。原爆投下から7年後の広島市にどのようにして黒石市の女の子の詩が届いたのか気になった。わかってきたことは、児童文学作家の鈴木喜代春(1925-2016)が関係しているということ。鈴木氏は田舎館生まれで青森師範学校を卒業し、県内の小中学校の教諭を務めた。そして1952年に青森県黒石小学

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        • コロナ
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        記事

          あれから

          昨年10月10日「大川小津波訴訟」は児童の一部遺族側の勝訴が確定した。大震災の津波で児童108名のうち70名が亡くなり4名はまだ見つかっていない。近隣の学校の被災状況と比較すると異常だ。裁判で全てが明らかになったわけではないと思うが、遺族にとっては最期の様子を知ることは亡くした子たちに寄り添う為に大切なことと思う。 約50分避難せず釘付けにされた校庭のすぐ後ろに小高い裏山がある。一年生でもすぐ駆け上がれる。近い。遺族だけでなくやはり悔しさが込み上げた。

          あれから

          ペール・ラシェーズ墓地ーParis

          パリ市内最大のペール ・ラシェーズ墓地はホテルから歩いて10分程度で、多くの著名人が眠るこの地に、もう一人の「ロバート ・キャパ」ゲルダ・タローの墓がある。メルニモンタン通りの正門から入り、上り坂を南東の端っこに向かって進み大通りから少し中に入ったところでようやく見つけた。シーズンオフでしかも早朝ということもあり、時々何人かと行き交うだけで周りには誰もいなかった。享年27歳、反ファシズムとして報道写真を取り続け、スペイン内戦に巻き込まれ亡くなった。そばにいる鳩と思われる石像が

          ペール・ラシェーズ墓地ーParis

          パリ12区の空中庭園

          ニューヨークのHIGH LINEのモデルになった公園。でもレールはない。 約4.5キロの高架線跡を利用した緑の遊歩道。観光というよりも市民に利用されてる感じ。煉瓦の橋桁の下にはおしゃれな店がいっぱい。 HIGH LINEの紹介で偶然知って、せっかくだからと今回訪問した。確かに似ている。 このように意図して誘導した訳ではないだろうが、見たい知りたいを刺激させるアプローチの仕方はいろいろ活用できそうな気がする。 どちらも造りっぱなしではないところがいい。多くの人がジョギングで

          パリ12区の空中庭園

          ニューヨークの空中庭園

          滞在3日目は、時差ボケのまま2日間歩き回ったせいか体調不良だった。グランドセントラルターミナル構内のフードホールでコーヒーを飲んでホテルに戻り寝た。夜は散歩して近場のバーでベーコンつまみにビールを一杯。 よく寝てスッキリした翌20日はホイットニー美術館に向う。フラットアイアンビルディングを眺めてハドソン川方向へ向かうと、単管パイプを組合わせた階段がある。工事中の仮設ではないことは看板でわかった。HIGH LINEの文字と説明文(あまりわからない)からこの上が高架線跡だとわかっ

          ニューヨークの空中庭園

          9/11 Memorial & museum

          MoMAに行った翌日19日には911メモリアルミュージアムを訪れた。 シティホールで地下鉄を降りて、場所を確認しながらしばらく歩くとまずサブウェイ ステーションが目に入る。奇抜な建築デザインに誘われ中に入って通り抜けると目の前にあった。開館時間に合わせてホテルを出たおかげで、入場の列にはまだ十数人しかいなかった。チケットを購入してエスカレーターで地下に向かうと、外に建っている簡素な建造物からは想像できない広さにまず驚く。それもそのはずでタワー2棟分の敷地が地階に広がっている。

          9/11 Memorial & museum

          ニューヨーク近代美術館ーMoMA

          ニューヨークに着いた翌日の2月17日には、目的地のひとつであるMoMAへ行った。ホテルのフロントの人は地下鉄を勧めてくれたが、ミッドタウンからは歩けない距離ではないなと思い、グーグルマップを頼りに歩く。街を歩くのはいろんな刺激があって好きだ。チャイナエアーの出発遅れや乗り継ぎ便の変更で到着が約半日遅れて4時間くらいしか寝てないけど、気分は良かった。 MoMAは6階あって各フロアごとにテーマがある。企画展は最上階で下からプロダクトデザイン、常設展、コレクション展などを順に観てい

          ニューヨーク近代美術館ーMoMA

          宮城県石巻市釜谷山根「大川小学校跡地」

          リチャード・ロイド・パリー著『津波の霊たちー3・11生と死の物語』を読んでからずっと訪問したいと思ってい大川小学校跡地を昨年10月24日、一緒に行きたい言う母と妹を車に乗せて訪問した。 津波にのみ込まれた地域なんだろうと思いながら、新しく造成されたエリアを眺めながら北上川沿いに河口に向けて車を進めると慰霊碑と立ち入りを禁止するビニールロープがわずかに見える建物が見える。保存とはほど遠く、さらけ出しているといったほうが合っていると思う。周辺の荒涼とした景色と相まってそれがかえっ

          宮城県石巻市釜谷山根「大川小学校跡地」

          2月のニューヨーク

          関節リュウマチも薬のおかげで落ち着いてきたので、思い切ってニューヨークに行ってきました。2月のニューヨークは私の住んでいる青森県とほぼ同じくらいの気温。日中でも水が凍るくらいだったりします。最後の日には雪が降りましたが、滞在中は快適に街中を散策しました。 あっちこっちを歩きながら撮った写真と記憶をもとにこれから気ままにか書いていこうと思っています。

          2月のニューヨーク