【読書記録】僕が愛したすべての君へ/君を愛したひとりの僕へ
もう10年近く前の本になるのか。
そんな前に感じなかったのは2年前に映画が公開されたからか。
何かの映画を観に行った時に予告で流れてきて、少し気になっていたのだけど、結局映画も観ずじまいだった。
先日、ある人がツイキャス配信で「面白かった本」というトークテーマでこの本を挙げていて、じゃあちょっと読んでみるか、となった。
まず、この2冊をどちらから読むか、読む順番によって読後感が変わる、という話があるが、私は「君愛」のほうから読んだ。
どっちから読むのがどう、とかいう話は、一応公式からも発表されている。「切ない物語が好きなら『僕愛』から、幸せな物語が好きなら『君愛』から」
だそうだ。
私はこの予備知識すらなしに「君愛」から読んだが、私の気持ち的には結果的に正解だったなと思っている。
こういう「実施する順番によって結果が変わる」的なものは、その選択肢の両方を経験することはできなくて、片方の選択肢を捨てることがすごくもったいないように思うことがある。
それで、どちらを先にするかで迷いに迷った挙句、どちらも選べずに手をつけない、ということが私にはよくあるんだけど、どちらかを選んで実施する私も、結局選べずに手をつけない私も、可能性の中に存在していて、今この世界の私は「君愛」を選んだ私なんだな、と思う。
話はずれるように思うかもしれないけど、最近流行りのMBTIというやつで、私はその時のメンタルの状態によってINTPかINFPになる。
多くの人は、こういう感じで重ね合わせの中にいて、その中でその時々によってあちらに傾いたり、こちらに傾いたりしながら、その傾いた状態で選択を繰り返して、いろんな可能性が広がっていくんだろうなと思う。
作品の世界観の中でも並行世界の自分と会うことはできないから、「僕愛」を先に読んだ自分に出会うことは結局できないのだけれど、虚質科学の研究が進んで並行世界の自分に会うことができるようになったら、そういう「選ばなかった選択肢」がどうだったのか、自分の口から聞いてみたい。