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1960年代~80年代の泣ける名曲100選⑩~「歌謡ロック編 3」~甲斐バンド、佐藤隆、加山雄三、高橋真梨子、沢田研二 加藤登紀子 他28曲
「歌謡ロック編 」の1回目と2回目はこちら。
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甲斐バンド「バス通り」(1974)
甲斐バンドのデビュー曲。
次の「裏切りの街角」まではまだフォークっぽさが漂っていますが、甲斐バンドの基本が抒情性にある事がよく分かります。
甲斐バンド 「裏切りの街角」(1975)
甲斐バンドの出世作。
甲斐バンドの楽曲の特徴である抒情性がよく出ています。この曲がヒットした後「ヒーロー」がオリコンチャート1位になって大ブレイクするまで次のヒット曲が出ず、「裏切りの街角」1曲で3年間食いつないでいたと甲斐よしひろがある所で語っていました。
甲斐バンド「かりそめのスウィング」(1975)
「バス通り」「裏切りの街角」に続く3枚目のシングル。エレキギターの代わりにバイオリンを全面に押し出し、抒情的な曲が多い甲斐バンドの楽曲の中でも「そばかすの天使」と並んで最も強く哀愁が感じられる名曲です。
甲斐バンド「そばかすの天使」(1977)
甲斐バンドの曲としては珍しく女性視点の曲である点がユニークです。
イントロのギターリフがとてもいいですね。
甲斐バンド「らせん階段」(1975)
結構人気のある曲ですが、意外にもシングルカットされていません。
いくつかあるライブの中では最もよい出来で、特にペースが協調されています。
「地下室のメロディー」(1980)
甲斐バンド「東京の一夜」(1983)
長らく在籍した東芝から出した最後のシングルレコード。
フォーク色が強かったファーストシングル「バス通り」やセカンド「裏切りの街角」の時代に戻ったような抒情的な曲です。
佐藤隆「北京で朝食を」(1980)
デビューシングルで、佐藤隆の出世作。
エキゾチックな作風は、この作品の後も一貫しています。
佐藤隆「マイ・クラシック」(1984)
佐藤隆最大のヒット曲で、オリコンチャート24位。
流れるように美しいメロディが聴いていて心地よいです。
佐藤隆は1980年代に活躍したシンガーソングライター。外国を舞台にしたエキゾチックな曲が多いのが特徴。ライブでは自身エレキギターを弾いていますが、レコードではギターの代わりにバイオリンを多用しています。
髙橋真梨子の大ヒット曲「桃色吐息」の作曲者としても知られており、沢田研二のヒット曲「女神」、同じく加藤登紀子「七色の罪」も佐藤隆の作曲です。他にジュディ・オング、研ナオコ、石川ひとみ、吉川晃司などにも楽曲を提供しています。
佐藤隆「マイ・クラシック(ライブ)」(1984)
佐藤隆「カルメン」(1985)
「マイ・クラシック」に次ぐヒット曲。
佐藤隆「カルメン」(ライブ)
佐藤隆「桃色吐息」(1984)
高椅真梨子に提供した曲のセルフカバー。
日本作曲大賞受賞曲。
佐藤隆「桃色吐息」(ライブ)
高橋真梨子「桃色吐息」(1984)
50万枚を売り上げた高橋真梨子最大のヒット曲。
「希望商人」(1986)
イントロの美しいギターとピアノの音色で曲の中に引き込まれます。
歌詞もなかなか前向きで、シングルとして出してもおかしくない隠れた名曲だと思います。
「二十三夜」(1986)
しっとりとした味わいの名曲です。 堺正章への提供曲。
堺正章「二十三夜」(1986)
佐藤隆「虹色浪漫(ライブ)」(1987)
アルバム「水の中の太陽」収録曲。
こちらもシングルカットされてもおかしくない曲だと思います。
バイオリンがとても効果的に使われています。
佐藤隆「女神」(2018)
沢田研二へ提供した曲のフランス語セルフカバー。
沢田研二「女神」(1986)
文句なしの名曲。佐藤隆の曲らしくバイオリンを効果的に使っています。
アレンジもヴィジュアルも最高で、正に妖艶。
当時の沢田研二はいち早く外国のグラムロックを取り入れ、ヴィジュアル面でも時代の最先端を走っていました。
ついでにこちらのジュリーもすごいですよ。
沢田研二「麗人」(1982)
佐藤隆の作品ではなく沢田研二本人の作曲ですが、妖艶なジュリーをもう一曲。映像の編集が、なかなか凝っています。
加藤登紀子「七色の罪」(1985)
佐藤隆の他の歌手への提供曲集で、「七色の罪」は、28分19秒頃からです。
作詞は、加藤登紀子。
佐藤隆の作曲らしく、加藤登紀子の曲の中では最もアップテンポでサウンドもかなりハードです。
加山雄三 「蒼い星くず」(1966)
歌謡ロックと言えば、やはり加山雄三ははずせませんね。
当時の歌謡界はレコード会社専属の職業作詞作曲家の曲を歌手が歌わせられるという「不文律」が支配していましたが、特筆すべきは多少は親の七光りに助けられたとしても加山雄三が自らの才能でこの壁を打ち破り、自ら作曲した曲(作詞は主に岩谷とき子)を自身で歌い、楽器も演奏した事。加山雄三は、後の「シンガーソングライター」の先駆者であり、同時代の橋幸夫とともに歌謡ロックのパイオニアでした。
加山雄三は、GSにも影響を与えています。
加山雄三「夜空の星」(1965)
「涙の太陽」と並ぶ初期歌謡ロックの代表曲。
音源は、映画『エレキの若大将』のサウンドトラック。映像が削除されてしまっていて残念。
映画では加山雄三のバンドが「勝ち抜きエレキ合戦」に出場し、決勝にまで進みます。ライバルバンドのジェリー藤尾に脅され陰謀の片棒を担がされた青大将がわざと電源コードのプラグを抜いてしまいエレキギターの音がプッツン。機転を利かせた加山雄三の歌で事なきを得、見事優勝という定番のストーリー。蕎麦屋の店員役寺内タケシも加山雄三のバンドの一員として参加しているのが面白いです。
発売時は意外にも最大のヒット曲「君といつまでも」のB面。その後、『エレキの若大将』で歌うなどして人気が出て、「蒼い星くず」と共に加山雄三 のエレキ歌謡の代表曲になっています。
加山雄三+ローリー寺西+モト冬樹+EVE「ブラックサンドビーチ~夜空の星~LIVIN' LA VIDA LOCA」
「ブラック・サンド・ビーチ」と「夜空の星」との間にリッキー・マーティンの世界的大ヒット曲「LIVIN' LA VIDA LOCA」を挟むと言う奇抜な構成。
加山雄三「霧雨の舗道」 (1966)
「霧雨の舗道」は、ランチャーズと組んだ抒情的エレキ歌謡の代表作。
妙に素人っぽい歌い方で何だか歌唱も不安定。確かに難しい曲ですが、歌唱力のないのが露呈してしまっています。
加山雄三とランチャーズ「霧雨の舗道」~小さな旅~ブラック・サンド・ビーチ~ヴァイオレット・スカイ」
こちらはエレキインスト・バージョン。
加山雄三は、橋幸夫と並ぶ歌謡ロックの先駆者としてGSにも影響を与えていますが、GS全盛期には後輩のランチャーズと組んで自らGS的な活動もしています。
3曲目の「ブラック・サンド・ビーチ」は、日本エレキ・インストの嚆矢と呼んでもよい名曲。ベンチャーズもカバーしており、外国のエレキ・インストと比べても全く遜色ありません。4曲目の「ヴァイオレット・スカイ」もなかなかいい曲です。
悪乗りして加山雄三の純歌謡曲を1曲。
加山雄三「別れたあの人」(1967)
「霧雨の舗道」と同じようなスローテンポの曲ですが、こちらの方が歌唱に安定感があります。シングル盤は王道歌謡曲になっていますが、アルバムではリズム歌謡的なアップテンポのアレンジに変えています。
俳優の岩城滉一がカバーしていますね。
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