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B級GS(グループサウンズ)名曲集⑥~カレッジポップス系GS

加山雄三&ランチャーズ サベージ「いつまでもいつまでも」(1966)

1965年、「勝ち抜きエレキ合戦」他のTVオーディション番組で優勝。   デビュー前はシャドウズ・スタイルのエレキバンドでしたが、所属事務所の方針で、バンド名とは真逆の清潔で品行方正なカレッジポップス・バンドとしてレコードデビュー。                      

何となく、同じ年にデビューして映画の同名主題歌「若者たち」や「星に祈りを」をヒットさせたブロードサイド・フォーとの共通点も感じられます。曲調もそうですが、両者とも七三分けの髪形にアイビー・ルックでしたから。また、当時はまだ現役だった名優宇野重吉の息子寺尾聡が在籍していた事でも話題を呼びました。「いつまでもいつまでも」はフォーク調の曲調が、当時、GSと並行してブームになりつつあったフォークソング・ファンにも受けて大ヒットしました。

「この手のひらに愛を」(1966)

前作と同じ路線のシングル盤2曲目もヒットし、この頃がサベージの絶頂期でした。しかし、フォーク調からアップテンポな所謂「GS調」に変更した3枚目の「夜空に夢を」で失速。67年1月に寺尾が脱退、以降、人気が下降していきます。

サベージ「哀愁の湖」(1967年)

奥島吉雄と並んでバンドの二枚看板だったベースとボーカル担当寺尾聡が脱退した後にリリースした5枚目のラスト・シングル。フォークっぽさはほとんど感じられず、ムード歌謡をアップテンポにしたような曲調です。

ランチャーズ「真冬の帰り道」(1967)

加山雄三のバックバンドとして映画に出演させるために集められた全員慶大生のエレキバンド。実際に映画『エレキの若大将』(1965)などにバックバンドとして出演しています。その後、GSブームを受けてボーカル&インストバンドに模様替え。デビュー曲の「真冬の帰り道」がヒットして有名になりました。

加山雄三&ランチャーズ 「ブラック・サンド・ビーチ」(1965)

作曲加山雄三。日本のエレキ・インスト屈指の名曲です。

加山雄三&ランチャーズ 「旅人よ」

                                  アウト・キャスト「友だちになろう」(1967)

前回も取り上げたアウト・キャストのデビュー曲。カレッジポップス路線であまりGSらしくありませんが、曲自体はなかなかの名曲です。      カレッジポップス路線でスタートしたアウト・キャストでしたが、サベージとは逆に2枚目以降のシングルはGSらしいアップテンポの激しい曲調に路線転換していきます。

アウト・キャスト「電話でいいから 」(1967)

2枚目のシングル「愛することは誰でもできる 」はまだカレッジフォークの余韻が感じられましたが、このB面を聴いてびっくり仰天。       当時としても非常にハードな曲調で、路線の転換ぶりがよく分かります。 やけっぱちのような絶叫調(を通り越してもはや怒鳴り声?)のサビが、ある意味突き抜けていてなかなかすごいです。破壊力抜群なので、こちらをA面にすべきでしたね。

ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」(1969)

もともとは大学生を主体にしたR&Bバンド。シングル盤ではなく「ズー・ニー・ヴーの世界/R&Bベスト・ヒット」というアルバムでレコードデビューしたのは非常に珍しいケース。アルバムを出せずに消えて行ったB級GSのほうが圧倒的に多いですからね。                      
シングル盤はR&Bからフォーク調に路線転換。2枚目のシングル「白いサンゴ礁」(最初はB面扱い。後にA面として再発)がヒットして人気グループの仲間入りをしました。その後、多くの歌手にカバーされています。

「ひとりの悲しみ」(1970年)

問題の4枚目のラスト・シングル。                  作詞阿久悠、作曲筒美京平の最強コンビの作品ですが全くヒットせず、「GS絶滅時代」と言う時代背景も影響したのか、鳴かず飛ばずの内にズー・ニー・ヴーは解散。ところが、翌1971年に尾崎紀世彦が2曲目のシングルとして題名と歌詞を変えて発売したところ、100万枚超えのミリオンヒットとなりレコード大賞まで受賞。                              
この元歌についてWikiには「安保闘争で挫折した青年の孤独」がテーマとありますが、注意して聴いてみてもあまり政治性は感じられず、何が主題なのかはっきり伝わってきません。対して尾崎紀世彦盤の歌詞は非常に分かりやすく、テーマ性もはっきりしています。                

ズー・ニー・ヴーの町田義人の歌唱自体は尾崎紀世彦に引けを取っておらず、またアレンジもさほど変えていないため、やはり題名と歌詞を変えたことが大きかったのだと思われます。やはり歌詞の力は偉大ですね。    勿論、レコード会社の宣伝の仕方や尾崎紀世彦のキャラクターなども大きな要因ではありますが。

ザ・リガニーズ 「 海は恋してる」(1968)

ザ・リガニーズ がGSバンドかと言われると少し微妙なところもあるのですが、同系統のサベージやズー・ニー・ヴーも入れているので、まあ、いいかと言うことで。バンド名と「~だって、僕、泳げないんだもん。」と言う歌詞のオチがコミックソングのようで笑いを誘います。

ダーツ 「ケメ子の歌 」(1968年)

こちらもカレッジポップス調の「ほのぼの系コミックソング」。     GSには珍しく?ジャイアンツとの競作になりました。どちらもヒットしましたが、ダーツ版の方がやや売れ行きがよかったようです。

ダーツ 「ケメ子の歌 」(ライブ)

                                  ジャイアンツ「ケメ子の唄」(1968年)

こちらのジャイアンツ盤の方がダーツよりアップテンポでGSらしいです。 アレンジも凝っており、テープの早回しによる甲高い歌声は、前年に発売されて空前の大ヒットとなった「帰って来たヨッパライ」の二匹目のドジョウを狙ったものと思われます。

映画『ケメ子の唄』ジャイアンツ出演シーン

ヒットを受けて1968年にジャイアンツ盤を元に小山ルミ主演で映画化されています。題名も「歌」ではなく「唄」です。

以上のようにカレッジポップス系GSの流れを見てくると、意外にも折から台頭しつつあったフォークソングの影響を顕著に受けていることが見て取れますね。このシリーズの第1回でも書いたようにGSブーム自体に内在した要因やフォークブームに圧倒されるなどして1969年からGSブームは急激に衰退。GSは若者音楽の首座をフォークソングや70年代アイドルなど(傍流としてニューロック)に明け渡し、あっけなく消滅して行きます。


最後に、毎度恒例の脱線です。                                                      チップマンクス「オール・マイ・ラヴィン」(1968)

ジャイアンツ盤と同じ手法を使った米国アニメの人気者チップマンクスのヒット曲。ご存じ、ビートルズのカバーです。             チップマンクスは、「The Chipmunks Sing the Beatles Hits」という全曲ビートルズのカバー・アルバムもリリースしています。

悪乗りして、「スヌーピー」を題材にしたコミックソングをもう1曲。   
ロイヤル・ガーズメン「暁の空中戦(Snoopy Vs. The Red Baron)」(1967)

これでも全米2位にチャートインした大ヒット曲なんですよ。



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