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1960年代~80年代の泣ける名曲100選④キンクス、ブライアン・フェリー、ビートルズ、アバ、西島三重子他21曲

030  キンクス「サニー・アフタヌーン」

キンクスはザ・フーと同様、欧米では人気が高いのに日本で全く人気が出なかったバンドの代表格。そんな中でも前奏が非常に印象的な「サニー・アフタヌーン」は当時日本でもそれなりにヒットしたので、初期の「You Really Got Me」「All Day and All of the Night」と共に年配のロックファンには比較的よく知られている曲だと思います。

本国ではビートルズの「ペーパーバック・ライター」に代わって全英1位になりましたが、アメリカでは最高14位止まり。やはり、前年1965年のアメリカ・ツアーでの不祥事のため、4年間の米国内コンサート禁止を言い渡されたことが痛かったようです。                     

レイ・デイヴィスはこの曲のヒットをきっかけに、以後、コンセプト・アルバム作りやロック・オペラに力を入れるようになります。この路線転換は、従来からのキンクス・ファンには裏切りに等しく、全くの不評。

前期ハードロック時代のファンがほとんど離れて行ってしまったので、1975年のアルバム「不良少年のメロディ」まで続くこの時代は商業的にはキンクスのどん底時代。                               

オリジナルメンバーのベース担当 ピート・クウェイフも1969年に脱退してしまいました。まあ、表向きは自動車事故のためという事になっていますが、人気の急降下や路線をめぐるメンバー間のゴタゴタ(特にレイとデイブ゛の デイヴィス兄弟の確執)が背景にあるのは確実だと思われます 。     

その後、それまでのRCAからアリスタに移籍した大1弾「スリープウォーカー」(1977)から再びハードロック路線に回帰。しかし、逃げたファンは戻らなかったうえに新たなファンも大して獲得できず、本国のヒットチャートにシングルが27枚連続でチャートインしないという大物バンドとしては前人未到の大記録を打ち立ててしまいます。                

キンクスの「鳴かず飛ばす」時代は、1982年の突然の大ヒット「カム・ダンシング」(全英10位、全米4位)でようやく終わりを告げ、短期間でしたがようやく第2期黄金時代が到来。                                                    

もっとも、個人的には初期は別として、コンセプト・アルバム『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』(1969)から最後のコンセプトアルバム『不良少年のメロディ』(1975)までのキンクスが一番好きなんですけどね。                                                                                                                     

キンクスの真骨頂は、前期と後期のハードロック時代に挟まれた中期の「抒情派ロック時代」にあると思っているので。勿論、数少ないキンクスファンの中でもこの時代が好きな「ひねくれ者」は、超少数派なのですが。

どん底時代の曲をもう1曲。                     031 キンクス「ローズマリーローズ」

未発表曲ばかりを集めて1973年に発売された『The Great Lost Kinks Album』の収録曲。レイ・デイヴィスがテレビ用に書いた曲が中心。       「ローズマリーローズ」は小品ではありますが、この時期のキンクスらしい抒情的で美しいメロディの曲です。

 032 ブライアン・フェリー『レッツ・スティック・トゥゲザー』

イントロのサックスが非常に印象的な「レッツ・スティック・トゥゲザー」は米国のR&B歌手ウィルバート・ハリソンのヒット曲のカバーで、1976年のロキシー・ミュージック解散直前に出したソロ・アルバム収録曲。   

バックのブライアン・フェリー・バンドで一番目立っているのが全身黒づくめのサックス奏者ジョルジャ・チャーマーズ。オーストラリア出身で、数枚のソロ・アルバムも出しています。ギターのクリス・スぺディング、年をとってもギターの腕前は確かで迫力が違います。            

ブライアン・フェリーが最後に、素晴らしいダンス・パフォーマンスを披露してくれたくれたゴーゴーダンサーのお姉さんたちの手を取り、敬意を表しているのが偉いです。さすがは、英国紳士。

こちらが元歌です。                         033 ウィルバート・ハリソン「レッツ・スティック・トゥゲザー」

もともと名曲なのですが、プリミティブな原曲に比べてブライアン・フェリーのカバーが非常に洗練されているのがよく分かります。

034 デイブ・クラーク・ファイブ 「ビコーズ」

キンクスとは違って全盛時代には日本でも人気がありましたが、現在は忘れられたバンドの代表格になってしまいました。キンクスよりも知る人は少ないと思います。
「ビコーズ」は、彼らの日本における最大のヒット曲。

DC5については、こちらに詳しく書いています。

035 ヘンリー・アーランド「白い十字架」

1968年の珍しいにクラリネットよるインスト曲。むせび泣くようなクラリネットの音色が哀愁を感じさせます。

036 クロード・チアリ「初恋の丘」

大ヒット曲「夜霧のしのび逢い」に続いて発売され、こちらもヒットしました。クロード・チアリは何度も来日公演をしている内に日本が好きになり、とうとう日本に帰化してしまいました。

なお、「夜霧のしのび逢い」の大ヒットの後に公開された同名ギリシャ映画はクロード・チアリの曲とは無関係。しかし、日本公開時に「夜霧のしのび逢い」を映画に挿入して公開したため、クロード・チアリの曲は映画のサントラとの誤解を招く事になりました。かくいう私も長らく誤解していましたから。

037 ヴァニティ・フェア「しあわせの朝」

日本ではクリフ・リチャードとの競作になりましたが、やはり売れ行きではネーム・バリューで大きな差があるクリフ・リチャードに水をあけられてしまいました。楽曲の出来は、こちらの方が遥かに優れていたのですが。
ロックバンドには珍しいハープシコードの音色が美しいです。

038 アバ「HEAD OVER HEELS」

今年、アバが何と40年ぶりに再始動、新曲も発売されました。      コンサートは今はやりのアバターを使うとの事で、観たいような観たくないような。

039 テディ・ベアーズ「会ったとたんに一目ぼれ」

11959年に3週間にわたって全米1位になった大ヒット曲。作詞・作曲は、メンバーのフィル・スペクター。サビの部分が非常に美しい名曲で、ビートルズをはじめ多くのカバー曲が作られてい.ます。

040 ビートルズ「会ったとたんに一目ぼれ」

ビートルズはこの曲が大好きだったらしく、下積み時代のライブでは何回も演奏しています。オリジナルではサビは1回だけですが、このカバーでは2回繰り返して歌っています。

ドリー・パートン、リンダ・ロンシュタット、エミルー・ハリス「会ったとたんに一目ぼれ」

大物女性歌手三人が歌ったこちらのカバーは、1987年の全米カントリー・チャートで1位になっています。

041 マイケル・フランクス「アントニオの歌」

とてもいい曲なので本国でもきっと大ヒットしたに違いないと思っていたらさにあらず、シングルカットは日本のみで、ヒットしたのも日本だけなのだそうです。マイケル・フランクスが昔、NHKの若者向け番組「レッツ・ゴー・ヤング」に出演して「アントニオの歌」を歌っていたとは驚きです。

後半は日本の泣ける名曲です。まずは、西島三重子をまとめて3曲。                     042 西島三重子「千登勢橋」

西島三重子は当時、29か30歳。代表曲「池上線」を中心に何本かのビデオがユーチューブにアップされていますが、その中では最も若い時代の映像だと思います。ロングショットだと若い頃の大竹しのぶとそっくりに見えますね。                                「千登勢橋」は、東京にある実在の橋を題材に「池上線」と同じ愛する人との悲しい「別離」を歌った名曲です。

043 西島三重子「夕闇のふたり」

なかなか雰囲気のある曲です。「~ビデオならば巻き戻せるのに」という歌詞が時代を感じさせます。

044 西島三重子「一瞬の夏」

御前会議で本土決戦を主張したが入れられず、昭和20年8月15日、介錯なしの壮絶な割腹自殺を遂げた陸軍大臣阿南惟幾を描いた終戦ドラマ『一死、大罪を謝す』(原作角田房子 )のテーマ曲。

045 西島三重子「面影通り」

スローテンポのしっとりとした名曲で、桃井かおりがカバーしている。
西島三重子はお酒が好きだったらしく酒にまつわる歌を何曲か書いており、これもその中の一曲。

046 西島三重子「あきらめてサンバ」

西島三重子の曲の中では、最もアップテンポの部類に入るリズミカルな曲です。シングル発売当時のTVライブでキンキラキンの衣装で踊りながら歌う姿を録画してあるので、その内ユーチューブにアップしようかしら、なんてね。  


「Bye-Bye」、桃井かおりがカバーした「面影通り」もいい曲ですよ。

047 新谷のり子「フランシーヌの場合」

1969年に大ヒットしたプロテスト・ソング「フランシーヌの場合」は、1969年3月30日の日曜日の朝、パリの路上で焼身自殺したフランシーヌ・ルコントを歌った曲。 彼女は、当時30歳。自殺現場はベトナム戦争終結に関するパリ和平会談か行われている会場から200mしか離れていない場所でした。                                 

日本で『フランシーヌの場合』が作られたのは朝日新聞に載った小さなベタ記事がきっかけだったそうですが、その記事には「ベトナム戦争やナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)に心を痛め、 自殺したときもビアフラの饑餓の切り抜きを持っていた。 」とあります。                    

1963年、当時の南ベトナム 、ゴ・ディン・ジエム 政権の圧政と仏教弾圧政策に抗議して僧侶ティック・クアン・ドック師が焼身自殺したのはまさに衝撃的な事件でした。自殺の模様は全世界に配信され、日本のテレビでも繰り返し放映されました。                           

この事件を契機に南ベトナム政権とアメリカの政策に反対するベトナム人僧侶の焼身自殺が多発するようになりますが、フランシーヌの焼身自殺は、この一連の流れの中で起きた事件だったと思っています。

048 アン真理子 「悲しみは駆け足でやってくる」

「フランシーヌの場合」と同時期のヒット曲。             アン真理子が作詞した「明日という字は明るい日と書くのね~」や「若いという字は苦しい字に似てるわ~」という歌詞がとても印象的でした。

049 伊藤久男「ブラジルの太鼓

大ヒット曲「イヨマンテの夜」のようなエキゾチックな曲なので、福島三羽烏の古関裕而の曲かと思ったら、上原げんとの作曲だったのですね。   朝ドラ『エール』が放映されるまで全然知らなかった曲ですが、ラジオの「のど自慢」で盛んに歌われたそうなので、当時はそれなりにヒットしたのでしょうね。

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