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「カバーポップス黄金時代」聴き比べ③「サマーワイン」「片目のジャック」「涙のハプニング」他15曲
カバーポップスについては、こちらで詳しい説明をしています。
スウィング・ウエスト「サマー・ワイン」
GSのスウィング・ウエストが「サマー・ワイン」をカバーしていたことは、最近まで全く知りませんでした。 カバーは毒にも薬にもならないごく平凡なエレキ・インストで、GSとしての意地を見せた?のは、ラストがアップテンポになる所くらいでしょうか。 なぜ湯原昌幸に歌わせにかったのか謎です。「雨のバラード」を大ヒットさせた湯原昌幸の歌唱力なら十分歌いこなせたと思うのですが。デュエット曲だからでしょうか。
ナンシー・シナトラ&リー・ヘイズルウッド「サマー・ワイン」
こちらは、TVでのスタジオライブです。 ※画面右下隅の四角いアイコンをクリックすると画面が拡大されます。
ナンシー・シナトラは、1961年にアイドル歌手としてデビュー。60年代中ごろまでは大きなヒット曲もなく、フランク・シナトラの娘である割にはかなり地味な存在でした。日本やイタリアではヒットした「レモンのキッス」も本国ではビートルズもカバーしていた「逢った途端にひとめぼれ」(テディ・ベアーズの大ヒット曲)のB面でした。
彼女の快進撃が始まったのは、1966年に「にくいあなた」が全米1位に輝いてから。続いて「シュガータウンは恋の街」が全米5位、翌年の父とのデュエット曲で再び全米ナンバー1。その後も1970年頃までコンスタントにヒット曲を出し続け全盛時代を築きました。
この曲で共演したリー・ヘイズルウッドは、ナンシーの出世作「にくいあなた」の作者。1965年頃からナンシーと仕事をするようになり、デュオとして3枚のアルバムを出しています。余談ですが、リー・ヘイズルウッドがアストロノウツに提供したインスト曲「太陽の彼方に」は日本でだけ大ヒットし、無理やり歌詞を付けたカバー曲が何曲も作られています。
「サマーワイン」は本国では「シュガータウンは恋の街」のB面でしたが、それでも全米49位まで上がりした。日本では別々のシングルとして発売されて大ヒット。「シュガータウンは恋の街」より売れたのではないでしょうか。
克美しげる「片目のジャック」
愛人殺害事件という衝撃的な事件を起こしたため今ではすっかり過去の人ですが、克美しげるはカバーポップス歌手としては大物の部類に入ります。1962年のデビュー曲、「霧の中のジョニー」のカバーがいきなり40万枚の大ヒット。初期はカバー中心でしたが、歌謡曲調のオリジナル曲にも挑戦し始め、1964年の「さすらい」が60万枚のビッグヒットを記録し、克美しげるの代表曲となりました。他にテレビアニメ「エイトマン」の主題歌や「北京の55日」などのヒット曲もあり、1960年代中盤まではまさに破竹の勢い。
しかし、それ以降はヒットが出なくなり演歌歌手に路線転向しますが、泣かず飛ばすで人気が低迷。麻薬に手を出して身を持ち崩したあげく、再起のために邪魔になったという身勝手な理由で尽くしてくれた愛人を殺害。懲役10年の判決を受けて服役し、7年後に仮出所。刑期を終えた後、また歌手として再出発したという数奇な経歴の持ち主です。法的には罪を償ったとはいえ、被害者の遺族は克美の再起をどんな思いで見ていたのでしょうか。
「片目のジャック」は3枚目のシングル。哀愁溢れるメロディと歌詞が受け、「霧の中のジョニー」に続いてこの曲もヒット。テレビでもよく歌っていました。カバー曲としての出来もよく、イントロはこちらの方がドラマチックな作りです。
こちらはB面の「ドミノ・ツイスト」。
ファッツ・ドミノの同名曲のカバーかと思ったら、全然別の曲でした。 A面として発売されてもおかしくない出来で、間奏のサックスもいい感じです
。曲の出所が不明で、リズムからするとイタリアあたりからの輸入曲?という感じもしますが、ひょっとするとオリジナル曲かもしれません。たしかシングル盤のライナーノートに記載があったはずですが、さて、どこにしまったものか。
ジョニー・バーネット「片目のジャック」
ジョニー・バーネットは、1950年代から60年代前半にかけて活躍したロカビリー&ロックンロール歌手。代表曲の「 Rockabilly Boogie」「Train Kept A Rollin」は、その後、多くのロックグループにカバーされています。1964年に船の事故のため、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス等と同じように若くして亡くなっています。
「片目のジャック」は何となくマーロン・ブランド監督・主演の同名映画の主題歌かなと思っていたのですが、後になって映画を観たらこの曲は使われていなくて拍子抜け。本国での発売は映画公開の翌年なので、歌詞から見ても映画にインスパイアされて作られた曲のようです。
こちらの元歌はジョニー・バーネットの緩急自在の歌唱力に流れるように美しいストリングスと女性コーラスがよくマッチしており、さすがに本家だけの事はある抜群の仕上がりです。
ちょいと脱線。 ヤードバーズ「Train Kept A Rollin」(「Stroll On」)
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『欲望』の挿入曲。 ジェフ・ベックとジミー・ペイジのツイン・リードギター時代のヤードバーズが鮮明なカラー映像で観られるのはとても貴重で、よくぞ撮っておいてくれましたという感じです。
ビデオなどない時代、動くヤードバーズが観たいという不純な動機で観に行った映画でした。ブルースハープの腕前は一流なのに、ギターに比べてボーカルが非力と悪評芬々のキース・レルフですが、大画面でのパフォーマンスはやっぱりカッコよかったです。
演出なのでしょうが、ジェフ・ベックが柄にもなくジミヘンやピート・タウンゼントの真似をしてギターを破壊していてびっくり。映画自体は、キネマ旬報の1967年洋画ベストテンの2位になっている不条理映画の名作です。
克美しげるをもう1曲。 「霧の中のロンリーシティ」
6枚目のシングル曲。ジョン・レイトン「霧の中のジョニー」のカバーが大ヒットしたのを受けてリリースしたものですが、ヒットまでには至りませんでした。カバーとしての出来は、悪くないのですが。
ジョン・レイトン「霧の中のロンリーシティ」
ジョン・レイトンはイギリスの俳優兼歌手。どちらかと言うと俳優の方が本業だったらしく、映画『大脱走』にも出ていました。歌手としての活動期間は1960年代前半で、デビュー曲の「霧の中のジョニー」(1961)がいきなり全英チャート1位になってブレイクしました。 「霧の中のロンリーシティ」は5枚目のシングルで、こちらも全英14位にランクインしています。「霧の中のジョニー」と並ぶ名曲だと思います。
脱線ついでに、日本語カバーのあるジョン・レイトンの曲を2曲リンクしておきます。
ジョン・レイトン「霧の中のジョニー」
リップシンク映像に女性の歓声をダビングしたものですね。
ジョン・レイトン「ひとりぼっちのジョニー」
個人的には、「霧の中のロンリーシティ」、「霧の中のジョニー」、そして、この曲がジョン・レイトンのベスト・スリーです。
飯田久彦「恋のハッスル」
飯田久彦は1961年にデル・シャノンの「悲しき街角」で歌手デビュー。 シングルは全て外国の曲で典型的なカバーポップス歌手です。ジーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」が大ヒットしましたが後が続かず、歌手廃業後はビクター社員に転身ました。ディレクターとしてピンク・レディを発掘したエピソードは有名。
「恋のハッスル」はアップテンポでパンチのある原曲に比べると随分のんびりとした歌い方で、明らかに迫力不足です。B面だからでしょうか。邦題の「ハッスル」ですが、今ではすっかり死語状態で若い人には意味不明でしょう。一種の流行語で、流行っていた頃は「張り切る」とか「頑張る」という意味で使われていました。高度経済成長時代の「モーレツ社員」とか「エコノミックアニマル」といった「行け行けどんどん」時代の社会風潮にピッタリだったのでしょう。
ヘレン・シャピロ「恋のハッスル」
哀愁を感じさせる短調の主旋律と陽気な長調のサビとの組み合わせが絶妙。
こちらはテレビのスタジオライブ。
ライブ映像は出だしが切れていますが、リップシンクですね。
ヘレン・シャピロはブライアン・エプスタインがマネージャーだった関係で、初期のビートルズともステージやTVで何度も共演しています。ビートルズのデビュー当時、すでに「子供じゃないの」「悲しきかた想い」(2曲とも日本でヒット)「夢みる恋」などの大ヒット曲がある大スターだったので、ビートルズより格上の先輩格。
一方でビートルズの方は、デビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」が英国チャートでは最高17位止まり。2枚目の「プリーズ・プリーズ・ミー」が翌年3月1位になりますが、まだまだ駆け出しで海のものとも山のものともつかない新人バンドでした。ですから、1963年2月2日から3月3日まで行われた英国内パッケージツアーでは、ひょっとしたらビートルズはヘレン・シャピロの前座扱いだったかもしれません。勿論、その地位はあっという間に逆転するのですが。
「恋のハッスル」はイントロの迫力のあるドラムスと女性コーラスでまず曲に引き込まれ、それに続くマイナー調の切ない主旋律と陽気なサビとの対比が絶妙。明るめに入って最後に短調に転調する間奏のキーボードもいい味を出しています。 ヘレン・シャピロが大橋純子、和田アキ子、薬師丸ひろ子、高橋真梨子など日本の歌手のカバーを歌っていたことを最近になって知りました。「逆カバーポップス?」でしょうかね。
ヘレン・シャピロ「Look who it is」
この頃は、まだビートルズがヘレン・シャピロの格下であった事がよく分かる映像。どういう訳かポールがいませんね。
こちらは、飯田久彦の代表曲。
「悲しき街角」
デル・シャノン「悲しき街角」
4週間に渡って全米1位を記録したデル・シャノンの代表曲。
間奏が大変秀逸です。
ついでに、
デル・シャノン「太陽を探せ」
セカンド・シングル「花咲く街角」が全米5位まで上がったもののその後はトップテン・ヒットがなかなか出なかったデ・シャノンですが、「悲しき地街角」から3年後の「太陽を探せ」が9位にランク・インし、久しぶりの全米トップ・テンヒットになりました。
最後は厳密な意味ではカバー曲ではないのですが、まあ、許容範囲という事で。
すかんち「ペチカ」 ※ニコニコ動画からのリンクなので、URLをクリックしてください。
すかんちはギタリスト兼タレントのROLLY(ローリー寺西)を中心に結成されたビジュアル系ロックバンド。
「ペチカ」は12枚目のシングル。サビの部分以外は、要するにエジソン・ライトハウスの「涙のハプニング」のパクリ。オリジナル盤とは変えたサビのメロディが主旋律と合っていないので、元歌には遠く及ばない劣化版になってしまっています。元歌がいい曲だと思ったのなら、変な小細工をせずにきちんとカバーして欲しかったなあと。
エジソン・ライトハウス「涙のハプニング」
エジソン・ライトハウスはスタジオ・ミュージッシャンが集まり短期契約で結成したバンド。メンバーの入れ替わりも激しく、その意味では実体があるようでない架空?のバンドだったようです。「恋の炎」が全英1位、全米5位とメンバーたちもびっくりの大ヒットになりました。
「涙のハプニング」は本国やアメリカでは不発でしたが、日本人好みのセンチメンタルでマイナー調のメロディが受け、本邦だけでヒットしました。哀愁を帯びたマンドリンのトレモロがとても効果的に使われています。
時代の変遷とともに、こういうメロディアスで泣かせる曲がなくなってしまったのは、淋しい限りです。
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