映画ノート⑰ 2020年公開映画甘口寸評 『シカゴ7裁判』『ジョジョ・ラビット』『罪の声』『リチャード・ジュエル』他3本
『シカゴ7裁判』は、1968年の「シカゴ暴動」を題材にした法廷群像劇。
「シカゴ暴動」は、ベトナム戦争反対を訴えるために民主党大会に集まった15000人のデモ隊とこれを阻止するために動員された2万名以上の警官、州兵、陸軍部隊とが激しく衝突し、暴動容疑で多数の逮捕者を出した事件。
保守系裁判官の初めらから有罪ありきの強引な訴訟指揮と闘い、警察の仕掛けた謀略や嘘の数々を次々と暴いていく過程が非常にスリリング。初めは頼りなさそうに見えた弁護士が、途中からだんだん本領を発揮していくのも『コリーニ事件』や『リチャード・ジュエル』と共通しているのだが、それは権力側と対峙する欧米市民の人権意識の強さと関係している。
検察側に寝返るかもしれないと思われていた被告の一人が、最後の証人尋問で検察側の期待に反してベトナム戦争の戦死者の名前を延々と読み上げるラストのどんでん返しが感動的で、昔のアメリカン・ニューシネマを観ているようだった。
『ジョジョ・ラビット』は、第二次大戦末期のドイツを舞台にしたブラックコメディ。冒頭のビートルズ「抱きしめたい」ドイツ語版で嬉しくなり、すぐに映画に引き込まれた。
主人公はヒトラーを崇拝し、「ヒトラーユーゲント」に憧れるバリバリのナチ軍国少年ジョジョ。母が反ナチの活動家であることをジョジョは知らない。
「ヒトラーユーゲント」に入るための軍事訓練の顛末が描かれる前半こそコメディ色が濃厚だが、母が隠し部屋にかくまっていたユダヤ人少女をジョジョが見つける中盤あたりから徐々にシリアスドラマの要素が増していく。少年の脳内の「内なるヒトラー思想」が可視化され、「ヒトラー」になって出てきてはジョジョに命令したり、アジ演説して煽ったりする(ヒトラー役は監督本人)。
母親の衝撃的な処刑やユダヤ人少女との対話、ドイツ敗戦間際の悲惨な体験などから学んだジョジョが、「ヒトラー」を二階の部屋から窓の外へ蹴落とすことで、自らの「内なるヒトラー思想」と決別するラストが斬新だった。
『リチャード・ジュエル』の題材は、アトランタ五輪イベントテロ爆破冤罪事件。貧しい警備員リチャード・ジュエルは、イベント会場に仕掛けられた爆発物の第一発見者として多くの観客を助けたことで一躍英雄に。しかし、犯人は社会に不満を抱くプアホワイトだろうとするFBIの見込み捜査とFBIからリークを受けたマスコミによって、一転してジュエルはテロ犯人に仕立て上げられて行く。世論をプアホワイト犯人説に誘導したい公安警察とスクープが欲しい野心家女性記者の思惑から冤罪が作られていく過程を一切の忖度や遠慮なしに容赦なく描いているのが見事。
『アンストッパブル』も全く事前情報なしに観た映画。 主人公があまりにも偏執的なのでパラノイア・サイコパス映画かと思っていたら、最後の大どんでん返しで見事に打っちゃりを食らい唖然とした。母親の執念恐るべし!
『Mank/マンク』は、後の映画に大きな影響を与えた歴史的名作『市民ケーン』 (1941) 制作時の実録裏話映画。新聞王ケーンのモデルは、当時のアメリカメディア界を牛耳っていた実在の人物ランドルフ・ハースト。
主人公のマンクは『イヴの総て』を撮ったジョーゼフ・L・マンキーウィッツの兄で、『市民ケーン』の脚本家。様々な圧力や妨害と闘い、苦労して『市民ケーン』の脚本書き上げ、公開にこぎつけるまでの葛藤と確執の日々を描いた物語。
確執があった相手にはMGMの創始者ルイス・B・メイヤー、『市民ケーン』の制作会社RKOのプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック、『市民ケーン』の制作・公開を妨害し続けたハーストなどの大物の他に監督のオーソン・ウェルズや弟のジョーゼフまで含まれる。SFラジオ劇『宇宙戦争』(原作H・G・ウェルズ)の迫真の演技で全米を震え上がらせた天才オーソン・ウェルズが、自信過剰で鼻っ柱の強い結構嫌な性格の若造として描かれているのが面白い。実像もこれに近いらしいが。
映画『市民ケーン』をめぐる様々な軋轢やスキャンダルはアメリカではよく知られた事実らしいが、映画の中でフラッシュバックが多用されるため、当時のハリウッドの実情や政治状況を知らない日本人には相当難解で敷居が高い。そのため、最低限新聞王ハーストの人物像とハーストが、『市民ケーン』の制作公開に対してどのような態度をとったか位の情報は事前に仕入れておく必要がある。また、「市民ケーン」を未見、あるいは内容を忘れているようなら事前に観ておいたほうが『Mank/マンク』を面白く鑑賞できると思う。
『罪の声』は、有名なグリコ・森永事件と1970年前後の新左翼学生運動を組み合わせた社会派ミステリー映画の力作で、なかなか見応えがあった。 独りよがりの主観的な正義は客観的な悪と紙一重というか、ほとんどイコールであることが説得力を持って描かれていた。
『きみの瞳が問いかけている』は、目の不自由な女性(吉高由里子)と青年(横浜流星)とのピュアな恋物語。途中まで観て、「あれ?この話、どこかで観たような?」と思ったら、チャップリンの『街の灯』を翻案した作品だった。
ラストのどんでん返しが工夫されており、鑑賞後に爽やかな印象を残す佳作。韓国映画『ただ君だけ』のリメイクとの事なので、こちらも観てみようと思う。