前回、前々回と続けて「とんぼちゃん」について書いたので、その流れでその他の「抒情派フォーク」についてもまとめておこうというシリーズです。
個人的には、「抒情派フォーク」の双璧は「とんぼちゃん」と「NSP」だと思っているのですが、「NSP」についてはその内に。「双璧」と言っても両者の人気と知名度には格段の開きがありますが。
「抒情」(叙情)の意味ですが、大半の辞書には「叙事の対義語で、感情を述べ表すこと」と書かれています。これだと味もそっけもなく無味乾燥過ぎますね。Weblio辞書には、「広義の意味では非常に感慨深い様子、対象に対して情緒溢れるものを感じること、胸が締め付けられるような切なさを超えた深い感動を指すもの。」とも書かれていて、こちらの方が定義としてはしっくりきます。
もっとも、軽音楽的史には「抒情派フォーク」というはっきりしたジャンルや特別なムーブメントがあった訳ではなく、聴いていると「泣ける」「切なくなる」「悲しくて胸が締め付けられる」「哀愁を感じる」類のフォークソングをいつしか「抒情派フォーク」と総称しだしたという事のようです。
「抒情派フォーク」の全盛期は1970年代。それ以前の60年代フォークは、反体制学生運動と呼応する形で政治や社会、国家の在り方などに反対し、異議を申し立てる「プロテストソング」が主流でした。
これに対し、70年安保闘争の「敗北と挫折」を境に「全共闘世代」より少し後に生まれた世代は政治や政治・社会に対する関心が薄く、「三無主義」「シラケ世代」「ノンポリ」「個人主義」と呼ばれるような若者たちが増えて行きました。
若者たちの関心が社会などの外界から自分自身の内面へと向かう中で歌詞の内容も大きく変化。社会や政治問題を主題にした「プロテストフォーク」や「反戦フォーク」は急速に姿を消し、個人的な恋愛、失恋、友情、寂しさや孤独、過去の思い出などを歌う「私小説的」な歌が主流となって行きました。
この流れは以後も変わらず、1970年代後半、「抒情派フォーク」、「四畳半フォーク」、「アングラフォーク」「フォーライフ系商業フォーク」「日本のロック」などを包含吸収する形で、全く政治性のない所謂「ニューミュージック」全盛の時代へと繋がって行きました。
この辺りの経緯については、こちらの記事で少し詳しく書いています。
さて、前置きはこの位にして、肝心の「抒情派フォーク」の名曲を聴いて行きましょう。
マイペース 「東京」(1974)
マイペース 「東京」(ライブ)
さだまさし「檸檬」(1978)
伊藤敏博「サヨナラ模様」(1981)
永井龍雲「心象風景」(1978)
鈴木一平「黄昏の中で」(1980)
鈴木一平「水鏡」(1980)
鈴木一平「雨の糸」(1982)
冬子と夏子「鶴」(1973)
クラフト「僕にまかせてください」(1975)
クラフト「僕にまかせてください」(ライブ)