懐かしのエレキ・インスト② 哀愁の北欧エレキ・サウンド「ザ・サウンズ」
前回の「懐かしのエレキ・インスト①」では主にスプートニクスを紹介しましたが、今回は予定を変更してフィンランド・エレキの代表格ザ・サウンズを取り上げます。
『さすらいのギター』について
サウンズ最大のヒット曲は『さすらいのギター』。1963年に発売され、北欧諸国で大ヒット、その後、ヨーロッパ各国でも評判になりました。
原題は「MANCHURIAN BEAT」で、なぜ、北欧から遠く離れた旧満州が題名になっているのか不思議だったのですが、「ウイキペディア」に、元々はロシアの『満州の丘に立ちて』というワルツ風の歌曲が原曲との記載があり、謎の一端が解けました。満州は、ロシアの沿海州や西シベリアと地続きの土地ですから。
歌詞は1917年のロシア革命に干渉して、沿海州や北樺太を武力占領した日本の「シベリア出兵」とも関係があるそうです。
この原曲をロックにアレンジしたのがサウンズのヘンリク・グラーノとジョニー・リーブキンドで、まだ10代の学生だったのになかなかの才能です。
『さすらいのギター』は日本でも発売されてヒットしたしたらしいですが、どちらかと言うと後から発売されたベンンチャーズのカバー盤に隠れたような感じでした。
私も当時はサウンズの存在に全く気付かず、曲もベンチャーズのオリジナルだとばかり思っていました。個人的なとしては、ベンチャーズ盤がヒットしたおかげで、サウンズ盤にも後追いで光が当たったような印象があります。
B面の『エマの面影』も日本のエレキ・ギターファンにはよく知られた名曲で、こちらも原曲は歌曲です。
『ゴールデン・イヤリング』も日本でシングル盤が出ていますが、スプートニクスのように来日公演は行わなかったため、サウンズが有名グループの仲間入りをすることはありませんでした。
ザ・サウンズについて
サウンズは1960年、当時まだ16歳の学生だったヘンリク、ボビー、ピーター、ジョニーの4人で結成され、1963年1月『エマの面影/さすらいのギター』でレコードデビュー。発売直後から大反響を呼び、瞬く間にフィンランド・ヒットチャートのトップに駆け上がり、この後、彼らに続けと多数のエレキバンドが誕生するきっかけになりました。
1964年から65年にかけて、日本でもベンチャーズなどから影響を受けたアマチュア・エレキバンドが続々結成され、TVで「勝ち抜きエレキ合戦」(司会鈴木ヤスシ レギュラー「シャープホークス」)が放送されるなど、大エレキブームが巻き起こった状況とよく似ています。この若者たちのムーブメントが、数年後のGSブームにつながって行きます。
フィンランドでは、1963年から64年にかけてリリースした『トロイカ』『さすらいの荒野』『ゴールデン・イヤリング』などのシングル曲もヒットし、この頃がサウンズの全盛時代でした。その後、学業が忙しくなりメンバーが揃わなくなったため、残念ながら1965頃には実質的に活動停止状態になってしまいます。
サウンズがそのような状態にあった1965年、日本のレコード会社からLPレコード制作のために新録音の依頼があり、『黒い瞳』『ともしび』『カチューシャ』『カリンカ』『シベリアの夜はふけて』『真夜中のビート』を録音したそうです。
当時、彼らは自分たちの曲が遠い日本でヒットしていたことを全く知らされておらず、後から聞いて、「日本に演奏旅行に行けなかったことが本当に残念だ」と語ったそうです。
(ここまでの記事の一部は、CDアルバム『ザ・サウンズ さすらいのギター/ザ・サウンズのすべて』ライナーノーツを参考にして書いています。北欧エレキに関する情報が極端に少ないのは、今も昔も変わりません。)
最近、サウンズは再結成して活動を再開したらしく、ユーチューブにはライブが多数アップされています。初期メンバーらしき人はいるのですが、皆さんお年を召されているので、オリジナル・メンバーが何人含まれているかはよく分かりません。
では、ザ・サウンズの曲を聴いて行きましょう。最初は、『さすらいのギター』の聴き比べから。
原曲『満州の丘に立ちて』
サウンズ盤
ベンチャーズ盤
小山ルミ盤
『エマの面影』
『ゴールデン・イヤリング』
Peggy Lee 『Golden Earrings』 (1948)
『さすらいの荒野』
『真夜中のビート』
聴き比べで、ジョーカーズ『ダニューブ・ウェーブ』
『トロイカ』
『ともしび』
『ミッドナイト・ツイスト』
『黒い瞳』
『カチューシャ』
最後に、最近のライブから5曲。
『さすらいのギター』
『エマの面影』
『ゴールデン・イヤリング』
『トロイカ』
『さすらいの荒野』