
重低音ロックの先駆者 ザ・デイブ・クラーク・ファイブ
昔は誰もが知っているほど有名だったのに、今ではとっくの昔に忘却の彼方状態になっている有名人は山ほどいますが、今回取り上げるデイブ・クラーク・ファイブはロック界ではその代表格、超大物の部類に入ります。
1964年~1966年の全盛期、アメリカでは、ビートルズ、ローリング・ストーンズと並びイギリス3大ビートグループと呼ばれるほどの高い人気を誇りました。1964年から突如始まった英国ロックバンドによる所謂「ブリティッシュ・インヴェイジョン」を牽引し、ビートルズより前にアメリカ・ツアーを成功させたのはDC5でした。「エド・サリバン・ショー」への出演やカーネギーホールでのコンサートはビートルズの次でしたが、出演回数はイギリス勢の中でもトップクラスです。
最盛期は本国よりもアメリカでの人気が高く、活動の重点もアメリカに置いていました。アメリカのチャートに連続して14曲のトップ20ヒットシングルを送り込みましたが、1967年の『青空の恋』を最後にアメリカでのトップ20ヒットが出なくなり人気も下降線を辿ったので、アメリカから撤退して本国に戻りました。
その後はカバー曲が多くなるものの、『The Red Balloon』(1968)、『Good Old Rock 'n' Roll』(1969)、『Everybody Get Together』(1970)と解散までに3曲のトップテンヒットを英国チャートに送り込み有終の美を飾りました。
リーダーのデイブ・クラークがなかなかの切れ者で、自分たちの全楽曲と原盤の権利をすべて押さえていたのは、権利関係に無頓着だった当時のロックグループとしては画期的なことでした。あのビートルズでさえ、権利関係やブライアン・エプスタイン亡き後のマネジメント契約のいい加減さがメンバー間の確執となって表面化し、解散のひとつの原因になっているくらいですから。
反面、デイブ・クラークによる管理があまりにも厳格すぎて、CD時代になっても楽曲の再発売を一切許可しなかったため、グループ解散後は急速に忘れられた存在になっていきました。ようやく40曲を収めた2枚組のベスト盤が出たのが1993年、EMIから正規のベスト盤が出たのが何と2008年。厳格なのも結構ですが、ここまで来るともう行き過ぎもいいところです。

アメリカでの彼らの人気が沸騰し、「DC5」と命名された専用機ボーイングDC-10でアメリカ各地をツアーしている最中にデイブ・クラークはメンバーの面々に常々こう語っていたそうです。「僕らはこんなふうに先頭を突っ走っているうちにやめようじゃないか、20代のうちに優雅にリタイアするんだ。」その言葉通りなのか分かりませんが、DC5は1970年5月に解散して13年間の活動に幕を閉じ、その後の再結成の誘いもことごとく拒否し続けて今日に至っています。
ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカトニーも初期の爆発的人気がいつまでも続くはずはないと考えていたので、これは頷けることです。 ただし、ビートルズも解散後は再三の再結成の呼びかけに応じることはありませんでしたが、少なくとも楽曲やビデオテープの再発売を禁止するなどというばかげたことはしませんでした。
CDやビデオを再発売すれば本人たち(オリジナル曲の多くはクラーク=スミス名義)も儲かるし、ファンにも喜ばれるというのにデイブ・クラークは一体何を考えていたのでしょうか。大きな謎です。
現在はユーチューブでアルバム収録曲も含めてほぼすべての楽曲がいつでも聴けるようになりまさしく隔世の感がありますが、あまりにもブランクの期間が長すぎたためビートルズは知っていても、「DC5?聞いたことないね。」という若者がほとんどでしょう。
ドラムスのデイブ・クラークとリードギター担当レニー・デビッドソンはまだ健在ですが、サックスとリズムギターのデニス・ペイトンは2006年12月、リードボーカルとキーボードのマイク・スミスは2008年2月、ベースのリック・ハクスリーは2013年2月に亡くなっています。
最後にDC5のサウンドですが、デニス・ペイトンのテナー・サックスが他のグループにはない特色で、初期は、サックス、バスドラム、ベースなどの重低音を効かせたラウドで分厚く荒々しいサウンドが売り物でした。マイク・スミスの当時としては珍しいシャウト唱法も曲の厚みを高めるのに大いに貢献していました。
同時代のロック界でここまで重低音を効かせた重々しい音作りをしていたバンドはDC5以外には見当たらず、その意味では後のハードロックやヘヴィメタル、最近のラウドロックの先駆者とみなしても過言ではないと思います。
その後、アメリカでの『ビコーズ』の大ヒットをきっかけに重低音路線から徐々にポップでソフトな曲調に路線を変化させていきました。
それではDC5の曲を概ね発売順に聴いて行きましょう。 CashboxとBillboardとでは同じ曲でも順位に違いがある事が多いのですが、ランクが高いほうを採用しています。
「Glad All Over」(Cashbox5位 英国チャート1位)1964
英国チャートでそれまで1位を続けていたビートルズの『抱きしめたい』を蹴落として1位を獲得したため、一躍ビートルズの好敵手と見做されるようになったというエピソードは有名です。
スージー・クアトロによるカバー
「Bits and Pieces 」(Cashbox5位 英国チャート2位)1964
「Do You Love Me」(Cashbox8位 英国チャート30位)1964
「カッコいい二人 Can't You See That She's Mine」(Cashbox4位 英国チャート10位)1964
日本ではスパイダースがカバーしていました。
「ビコーズ」(Billboard3位)1964
DC5の日本における最大のヒット曲。年配者ならDC5には興味がなくても、この曲だけは知っているという人も多いかと。マイナー調の抒情的メロディがいかにも日本人好みです。
na Relo「ビコーズ」
「Thinking Of You Baby」 (英国チャート26位)1964
映像は、ナンシー・シナトラ、アニマルズ、スタンデルス、スタン・ゲッツ等が出演した学園映画『クレイジー・ジャンボリー』より、デイブ・クラーク・ファイブの出演シーンをを編集したもの。
個人的には、DC5のベスト5に入る名曲だと思っています。
「Any Way You Want It」(Cashbox9位 英国チャート25位)1964
「リーリン&ロッキン」(Cashbox15位 英国チャート24位)1965
「若さをつかもう Catch Us If You Can」(Billboard4位 英国チャート5位)1965
『ビコーズ』の次に日本でもヒットしました。
「Over and Over」(Cashbox、Billboard共に1位 英国チャート45位)1965
DC5唯一の全米ナンバーワン・ヒット。 当時、本国のブローモーションには力を入れていなかったため、英国では全くヒットしませんでした。
昔、大橋巨泉が星加ルミ子と一緒に司会をやっていた「ビートポップス」というTVの音楽番組で、「間奏のハモニカは、童謡の『うさぎとかめ』をパックったんじゃないの?」とのたまっておりました。 この曲を頂点に以後、アメリカでのDC5の人気は徐々に下降線をたどり始めます。
「忘れ得ぬ君 When」(1965)
DC5唯一の主演映画『5人の週末』の挿入歌で、「ビコーズ」と同系列の叙情的なバラード。映画の中で何度も流れるので、とても印象に残ります。 映像は、その『5人の週末』の1シーン。
発売時は主題歌の『ワイルド・ウィークエンド』のB面でしたが、日本ではA面よりこちらの方が人気でした。なぜかって?『ビコーズ』と同じマイナー調のメロディアスな曲だからです。
フィンガーズがカバーするなど、GSにも影響を与えました。この曲をアルバムからシングルカットしたレコード会社担当者さんは、お目が高い。
因みにテンプターズの同名曲とは、何の関係もありません。
「青空の恋 You Got What It Takes」(Billboard7位 英国チャート28位)1967
アメリカでの最後のトップテンヒット。 DC5がとうとう本格的にブラスを導入してR&Bをカバーしたと、日本でも当時、驚きをもって迎えられました。 元歌は、R&B歌手マーヴ・ジョンソンが1959年にヒットさせた曲。 マイク・スミスのボーカリストとしての力量がよく分かるパワフルな名曲です。
「青空の恋 You Got What It Takes」(ライブ)
マーヴ・ジョンソンの元歌
こちらもアップテンポのなかなかいい曲ですね。
「Everybody Knows (You Said Goodbye)」(Cashbox41位 英国チャート2位)1967
『若さをつかもう』以来、英国での久方ぶりの大ヒット曲。 レニー・デビットソンが作った曲なので、珍しく本人がリードボーカルを担当しています。
「恋をあなたに Put a Little Love in Your Heart」(英国チャート31位)1969
ジャッキー・デシャノンの大ヒット曲のカバー。 当然ですが、原曲よりもかなりハードなアレンジをしています。最後の繰り返しは、明らかにビートルズ『ヘイ・ジュード』の影響が感じられますね。
ジャッキー・デシャノンの元歌
全米4位まで上がったジャッキー・デシャノン最大のヒット曲。
最後に悪乗りして、ジャッキー・デシャノンで一番好きな曲『黄色いバラ Little Yellow Roses』をよろしければどうぞ。