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B級GS(グループサウンズ)名曲集④~「一人GS」(後編) エミー・ジャクソン、奥村チヨ、中村晃子、大原麗子 他
「一人GS」の定義については、こちらに書いています。
エミー・ジャクソン&スマッシュメン「涙の太陽」(1965)
デビュー曲で大ヒットした「涙の太陽」の発売は1965年なので、GSに影響を受けたのではなく、逆に影響を与えた側。一人GSに入れたのは、バック演奏をブルー・コメッツが務めているという理由からであります。
初めてラジオで聴いた時は勿論エミー・ジャクソンの正体は知らなかったので、外国人歌手の曲だと思っていました。大ヒットしてTVに出て来た時、日本人と変わらない顔立ちだったので驚きました。
諸般の事情で日本コロムビアの洋楽レーベルから出すために歌詞が英語になった事、作詞のR.H.Riversは音楽評論家の湯川れい子だった事(作曲は中島安敏)などは後から知りました。 バックはスマッシュメンという架空のバンドがクレジットされていますが、TVに出演した時、エミー・ジャクソンはうまかったもののバックバンドの演奏とコーラスがびっくりするほどへたくそ。レコードとは雲泥の差でガッカリしました。
エミー・ジャクソン&ブルーコメッツ「涙がいっぱい (Tears A Go Go)」(1966)
ブルーコメッツの素晴らしいバック演奏ががたっぷり聴けます。
エミー・ジャクソン&ブルーコメッツ「涙のゴーゴー 」(1966)
エミー・ジャクソン&ブルーコメッツ「恋のエンジェル・フィッシュ」(1966)
メロディと共に井上大輔のサックスが光る曲です。
エミー・ジャクソン&ブルーコメッツ「せつなくやるせない」(1966)
「涙のゴーゴー 」のB面ですが、A面でもおかしくないしっとりとした名曲。
奥村チヨ&レオ・ビーツ「涙のかわくまで」 (1968)
奥村チヨがB級GSバンドのレオ・ビーツと組んだ西田佐知子の名曲のカバー。元歌よりリズムがアップテンポです。
中村晃子&ジャガーズ「虹色の湖」(1967)
「虹色の湖」は80万枚を売り上げた最大のヒット曲。次のロック歌謡「砂の十字架 」もヒットしていのす。 1973年には細川俊之とのデュエット曲「あまい囁き」(ダリとダとアラン・ドロンのカバー)がヒット。1980年にはTVドラマの挿入歌「恋の綱渡り」が売り上げ30万枚を記録し、スキャンダルなどもあって注目されました。 映像は、GS映画『進め!ジャガーズ敵前上陸』。
中村晃子「砂の十字架 」(1968年)
美空ひばり&ブルーコメッツ「真っ赤な太陽」(1967)
カラー映像が削除されてしまったので、白黒版で。実際は上下真っ赤な衣装でした。歌謡界の女王美空ひばりが初めてミニスカート、しかもゴーゴーを踊りながら歌ったという事で当時大きな話題を呼びました。 GS全盛期に発売された「真っ赤な太陽」は140万枚を売り上げ、GS関連曲ではブルーコメッツの150万枚に次ぐ大ヒット曲になっています。
美空ひばり「むらさきの夜明け」(1968)
「真っ赤な太陽」に続いて発売された一人GS曲。 「真っ赤な太陽」よりもアップテンポでビートが効いています。 バック演奏は、は作曲者の原信夫&シャープスアンドフラッツ。 なお、「真っ赤な太陽」も原信夫の作曲です。
小畑ミキ & アウト・キャスト「ハイ・ミスター」(1967)
「カルトGSコレクション [テイチク編]」収録曲。 バックはB級GSバンドの「ドアウト・キャスト」。
マーガレット & バニーズ『逢えば好き好き』(1968年)
女性バンドにも人気がある曲で、ハイマーズやノックアウツがカバーしています。『GSワンダーランド』の本田隆一監督の映画第1作『東京ハレンチ天国 さよならのブルース』(2001)のタイトルバックでも安田美香がこの曲をカバーしていました。
荒木一郎「いとしのマックス(マックス・ア・ゴーゴー)(1967年)
荒木一郎本人はアコギを引いていますが、曲とバックバンドは完全にGSスタイルです。舘ひろしtがカバーしていますが、がなかなか面白いアレンジでした。
港孝也とパッション・グループ「恋のチューリップ」(1967)
港孝也「パッション」(1967)
ポール・アンカの「君はわが運命」からの影響が濃厚に感じられる曲です。
はつみかんな「恋のタッチ・アンド・ゴー」(1969)
イントロが日本でもヒットしたロス・ブラボーズの「ブラック・イズ・ブラック」にちょっと似ています。
黛ジュン「乙女の祈り」(1968)
ファズギターを使った最もGSっぽい曲。シングルのジャケット写真でもGSのミリタリールックに似せた服を着ています。 ここから3曲の映像は、すべて映画『天使の誘惑』から。
黛ジュン「霧のかなたに」(1967)
黛ジュン「ブラック・ルーム」(1968)
「天使の誘惑」のB面曲。 映像のバックバンドはオックス。中山千夏も踊っていますね。
映像は、映画『天使の誘惑』から。
いしだあゆみ 「太陽は泣いている」 (1968)
日本ビクター時代は全くと言っていい程ヒットが出ず鳴かず飛ばずだったいしだあゆみですが、日本コロムビアに移籍後の第1作であるこの曲から快進撃が始まりました。
篠塚満由美「月影のTOKYO」(1980)
モノマネ女四天王の一人として有名な篠塚満由美ですが、1974年のデビュー後は暫く洋楽ポップスのカバーを続けて出していて、遅れて来たカバーポップス歌手としての側面も持っていました。 「月影のTOKYO」は、オリジナルソングです。
しじみとさざえ「ものまね想い出の九十九里浜」(1991)
篠塚満由美は、松下桂子とコンビを組んだしじみとさざえのデビュー曲「ものまね想い出の九十九里浜」で第33回日本レコード大賞新人賞を受賞しています。
さて、ここまで一応私基準の「名曲」をリンクしてきましたが、最期は迷曲、珍曲、怪作のオンパレードになります。
村田英雄「太陽に祈ろう」(1968)
ド演歌の村田英雄や都はるみまでが無理やり一人GS曲を歌わされていたことが、GSブームの瞬間風速のすさまじさを物語っています。村田英雄が、何と「太陽ソング」ですからね。
都はるみ「涙のバラ」(1968年)
都はるみ唯一の一人GS曲。意外にまともですが、こぶしをきかせるのはちょっとどうかと。
朱里エイコ「イエイエ」(1967)
「ワンサカ娘」と共に日本TV CM史に刻まれる名作CMレナウンの「イエイエ」。途中で少しだけ男性コーラスが入りますが、朱里エイコが最後までほぼ「イエイエ」しか言わないのがすごいです。
大原麗子「ピーコック・ベイビー」(1968)
今でも一部のファンにカルト的人気のある大原麗子のデビュー曲。 レコードカバーのレタリングやが大原麗子の衣装が時代を反映してなかなかサイケです。
森本和子「ハイティーン・ゴーゴー」(1966)
青春ソングのような題名からは想像もつかない怪作レコードで、初めて聴いたときは思わず悶絶しそうになりました。チューニングが狂ったようなバックのギター、「テケテケ」(ベンチャーズで有名になったトレモログリッサンド奏法)をはじめとする文字通りクレイジーで奇怪な歌詞とメロディ、野獣の雄叫びのようなぶっ飛んだ歌唱など、突然火山が大爆発したような凄まじい破壊力。
作曲があの船村徹というのもびっくりです。この後、森本和子は1970年にみなみらんぼう作詞作曲の「酔いどれ女の流れ歌」をスマッシュヒットさせています。
海道はじめ&スナッキーガールズ「スナッキーで踊ろう」(1968)
大トリは、色々な意味で摩訶不思議な珍曲「スナッキーで踊ろう」。 この曲は、プリマハムが新製品のソーセージ「スナッキー」を売るために発売した日本初のCMソング。しかし、曲が曲なので当時は全くヒットせず、広告戦略も未発達な時代だったこともあり「スナッキー」の売れ行きも芳しくなく、プリマハムの思惑は不発に終わりました。
一説では、バックのゴーゴーガール「スナッキーガールズ」の面々の内二人は小山ルミと吉沢京子とありますが、真偽の程はどうなのでしょうか。一時は、五十嵐ジュンもメンバーだったとの説も出ていましたが。