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遊びの効果について
こんにちは、たかひとです。
スムーズに話せるようになるのを目指したとき。
必ずしも順調にいってなくても、「あれ、なんかこれいいかもしれない」という偶然出た感触を追いかけて再現させようとしたことがあります。
このいい感じがわかることと、いい感じが出せることが、吃音克服に限らず、スキル習得に大事だと思っています。
前者が美意識で、後者は遊びによって誘発される感じですかね。
そもそも遊びは、一見めちゃくちゃなように見えて、ある軸に従ってはみ出たり、軸を変えたりすることに面白さがあるとのこと。
再現性を持たせようとする段階が積み重ねで、いい感じを探るという段階が遊びということもできるでしょう。
反復練習しかしない人が伸び止まるのは、再現性が高くても、次のレベルにはみ出る手法を持たないから。
遊ばないと予想外のいい感じが出なくて、それが出ないと人はそこに留まる、ともありました。
一般的なスキル習得はこの通りだと思うのですが、吃音克服を考えたとき、属人性が高いので、再現性のくだりは難しい気がしています。
私は、吃音克服における「遊び」は、話すことに囚われないで、自分の内に押し殺してしまった感情や興味から、磨けば光る原石を探し出すことだと思っています。
そして、たとえ寄り道をしてしまっても、諦めないで磨き続けることが肝要だと。