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座右の銘は今すぐ捨てなさい
こんにちは、たかひとです。
座右の銘は今すぐ捨てなさい、という文章に出会いました。
ちょっと強烈ですよね。
自分を鼓舞したり、戒めたりするために、座右の銘や格言は有効だと思っていたので。
この著者がいうには、それらを心の支えや活力にする場合、目標が「なれない自分になるため」だと、結果的に自分を追い込むことになるから、だそうです。
たとえば、「気合いで勝ちます!」と言っていた人が、徐々に勝てなくなったときに、「これ以上はもう頑張りで勝てない」という自己矛盾に耐えられなくなってしまう。
また、この視点が斬新だと思ったのですが、座右の銘に掲げていることは、自分のコンプレックスや弱点の裏返しであることが多いとのこと。
どもって、くよくよしたりするから、「くよくよするな」と思いついたりするわけで。
私は幼い頃、身体も弱かったので、吃音から来るメンタル面に限らず、強くなりたいとずっと思っていました。
でも、弱い自分ではダメだから「強くなる」という言葉を掲げてしまったら、今の自分を否定し、責めていることになりはしないか?
弱い自分は無意識のところで傷つき、追い込まれ、結果として苦しくなってしまう。
一見、前向きなことを言えば言うほど、今の自分が否定されていく。
その一助に座右の銘がなりかねない、と。
今の自分を否定し傷つけることが、成長することや結果を生むことにつながるのだろうか?
以前「欠点には存在理由がある」という記事を書きましたが、短所に見える特徴を単純に「短所」として捉えないこと。
昔は吃音を中心に、「何で自分はこれができないんだ」とよく自分を責めていましたが、異なる分野を知ることで、少しずつ違う側面が見え始め、自分を責めなくなっていきました。
「強くありたい」自分は、そもそも強い方ではないはず。
でも、弱いとも言えない。
本当に弱かったら、そのように考えられないから。
自分の短所にも価値観を見い出せる、ということ。
座右の銘を掲げるとしたら、自分の短所を責める言葉でないことが重要。
それに加えて、自分のコンプレックス発でないものがいいでしょうね。