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言い訳の人生を生きないために
こんにちは、たかひとです。
私、中学までは成績がそれなりに良かったです。
吃音で嫌な思いをした分、見返してやるという気持ちが強く、そのエネルギーを素直に勉強や部活動に向けることができました。
今思うと、自分を見つめると不安だから、心身を痛めつけるまでやらないと気が済まない、といった感じでしたが。
まあ、いつエンストを起こしても不思議ではない状態。
こういうとき、下手に頑張れちゃうと、かえってタチが悪いですね。
第一志望の高校に入って、クラスメイトが楽々と難問を解いているのを見て、ガムシャラにやるしか方法を知らなかった自分はアイデンティティの喪失?
自分の弱さを見てしまった私は、かつて弱いと思っていた人の中に自分を見るようになります。
自分は弱いし、狭量だなあ。
でも、吃音で半ばノイローゼのような状態に陥っていたので、その時はきちんと気持ちの整理ができませんでした。
本当の出発点になり得たのですが。
自分の弱さを見る勇気を持たない人は、言い訳の人生を生きる、と感じています。
まず、変な有能感や期待感を捨てること。
何かをやって、できれば意味があり、できなかったら意味がないなどと、結果に依存する満足感を持たないこと。
何かができるようになれば次の目標が現れ、続ける以上、常に何かできていないものに挑む状態にあります。
それを「道」と呼ぶのかもしれません。
できるからやるのではなく、挑む状態を作るために何かを目指すということ。
目的達成のための手段は、打算的に効率的になってもいい。
ただ、最も深い部分のなぜやるかというところが打算的だと、結局何もやり切らない人生になる。
何かにひたむきに挑む。
それが必ずしも金銭的なものでなくても、その過程が報酬化すれば、人は歩みを止めなくなる。
さらに、使命感についてですが、周囲の期待に応えることではなく、自分の役割に気づくことだと思った次第です。