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やりたいことがない
こんにちは、たかひとです。
旧社会では、社会においての役割が生まれながらに決まっていました。
対して、現代では、社会においての役割を自分で探し出して適応する必要があります。
昔は、やりたいことができないことを嘆き、今は、やりたいことがないことを嘆く、と。
実際、自分のやりたいことや夢に向かう羅針盤を持ち合わせている人は、思ったより多くない気がしています。
私の場合、中学や高校のときに、将来何になりたいか尋ねられて、本当に困った記憶があります。
頭の中は、「ふつう」に話せるようになることでいっぱい。
亡くなった父と母には本当に申し訳ないのだけれど、「長生きしたくないな」などという自分の内なる声が聞こえている有様だったので。
まあ、やりたいことがないというより、この先、生きていく理由がわからない、といった感じですかね。
いったい何が本当に重要なのか、という問いを避けて人は今を生きる、という一文もありました。
ずっと問い続けるのは辛い。
問えば問うほど孤独になる。
それに耐えきれなくて、人はあらかじめ用意された皆と同じ価値観を生きる、とのこと。
この論で流れとしては正しいというか、納得できます。
でも、ふつうに話せない状態では、みんなと同じ価値観を持ったとしても、実行できるとは限らない。
納得のいく道を自分なりに探さなくては。
あと、重要ではないことに人生のほとんどの時間は使われる、という残念な事実もあります。
みんなが重要だということが、自分にとっても重要だと思い込んでしまって、タイムオーバーにならないよう注意することが肝要ですね。