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自己観察の話

どういうときに自己観察が必要になってくるか?

逆に必要ないときは、物事が順調に進んでいるときだろう。
努力したぶんだけ成果として出て、周りからの賞賛もあるかもしれない。

でも、やればできたの段階が終わり、やってもできないかもしれないの領域に入ると、自分と向き合うこと。
自己観察をせざるを得ない。

私は高校時代にこれを上手くやれなかった。
入学して少したった頃から、勉強にしても、部活動の卓球にしても、やればできるという感覚を失ってしまった。

吃音矯正についても行き詰ってしまい、呼吸法や発声練習で嫌な思いをするくらいなら、むしろやらないでおこうというようになっていましたね。

吃音で馬鹿にされたことを起爆剤にして頑張ってきた部分が大きくて、いざ志望校に合格すると、燃え尽きた感じになってしまったわけです。

自分の中のエネルギーが枯渇してしまっていることには、気づいていました。
でも、悩みが頭の中でグルグルしている状態で、どうしたらいいのか見当もつかない感じ。

当時は、自分の本当の感情を無視して(あるいは気づかないで)、やる気を自分に押しつけ続ければ心が壊れる、ということを知りませんでした。

どこまでなら我慢できて、何を楽しんでいるかが重要。
このコツを掴むのがやる気で居続けられる秘訣、とあとから知りました。

先行きが不透明なときこそ、「頑張っている今」が楽しくないと続けられない。

それには、自分が本当に欲していることを知ること。
そのための自己観察であり、ずっと伸ばしていきたいスキルだと思いました。


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