なぜ優等生はつらいのか?
こんにちは、たかひとです。
なぜ優等生は次第につらくなってしまうのか?
について考えてみました。
学問、スポーツなどの分野において、優等生は答えを出すのが正確で早い。
だから、指導者が知っている領域までは強いわけです。
でも、未踏の地では問いは自分で見つけるしかない。
そこで優等生は伸び止まり、規格外の人が伸びていく感じがします。
最終的に人を高みに押し上げるのは、「問い」のセンス。
「答え」のセンスではありません。
答えが出ない問いを持ち続ける強さを、内側に持った者だけが上り続けられる。
ちなみに、答えの出ない事態に耐える力のことを「ネガティブ・ケイパビリティ」といいます。
また、ドキッとした指摘として、元優等生は恨みを抱えている、というのがありました。
中学までは一応優等生だった私としては、(吃音で馬鹿にされた悔しさをバネにして勉強で見返してやろうと思っていた)モロ当てはまっていました。
求められる姿で居続ける間は愛されるが、そうでなくなれば失望される。
失望を恐れ優等生を演じ続ける。
期待を裏切る勇気がない。
また、他人の評価を無視する勇気もない。
「お前には期待している」という言葉に弱かったりする。
まさに「嫌われる勇気」の欠如。
本来の自分でいる勇気が欲しいところです。
期待されれば応えてしまう。
抜け出したくてもがきながら、それでも愛想笑いをして周囲を気遣ってしまう。
ちょっと痛々しいですね。
でも、昔の私には、間違いなくこの要素がありました。
話は飛びますが、エリートであるスポーツ選手にも、ときどき恨みを感じることがあります。
それがプレッシャーによるものなのか、圧倒的な才能に打ちひしがれてのものなのか。
いずれにしても、プレーに伸びやかさが足りない気がしてしまいます。
その点、大谷選手は、恨みのかけらもありませんよね。
伸び伸びプレーをして楽しそうで、心から野球を愛しているのが伝わってきます。
私も伸びやかな魂を持っていたいと思いました。