たったひとつの「きれいごと」が人生の価値を作る
こんにちは、たかひとです。
現実論者にとって「理想主義」は幼稚に見えます。
「現実論」は理想主義者にとって夢がなく無味乾燥なものに思えるでしょう。
一番高いところに立てるのは、常にたった一人。
自分の限界なんて認めたくない。
好きなことなら、なおさら諦めたくない、という気持ちも
抑えられないものがあります。
「夢は叶う」は、叶わなかったほとんどの人にとっては、そのまま受け取れないもの。
とすれば、「夢が叶わない現実」の中をどう生きていくか、だ。
「きれいごと」はうさんくさい。
実際、学生時代に「偽善の福祉」などと言う人もいた。
自分が一番かわいいのは当たり前だから、そういう考えがあっても別におかしくない。
でも、こっちは、そんなのは承知の上で介護の仕事をしています。
施設の入居者さんから力を得られることも、結構あるんですよ。
それはさておき、「きれいごと」がないまま生きていけば、結局何のための人生かわからなくなる。
現実は変えられず、どうにもできないことも多い。
その中でもなお、大事にしたい何かが「きれいごと」。
何となくですが、あきらめないこと、ベストを尽くすというより、胸を張っていられる、という言い方がしっくりくる感じがしました。
そして、自分の中に残った、たったひとつの「きれいごと」が人生の価値観を作る。
また、価値観を練るには、幸福感を突き詰める必要があるとのこと。
突き詰めることから逃げたとき、極端な現実主義や理想主義が現れる、ともありました。
どうしようもないことは、やっぱりある。
私にとっての吃音は、時間をかけなければどうしても克服できないものでした。
これから別のどうしようもないことが起きても、
大事にしたい何かを練り上げるという考えは、ずっと持ち続けるつもりです。