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あの診察室で

今日の産経新聞の朝晴れエッセーから着想した習作シナリオです。
原作は「林田先生」、大阪府の永見佳子様の作品です。


林田義彦(75・84)医師
林田郁恵(75)その妻
藤沢みゆき(48)看護師
横山映美(58)林田の娘

○林田医院・外観

 雨が降っている。
 「閉院のお知らせ」が上に貼られた看板。
 奥の敷地に自宅がある。
 

○同・中

 がらんとした診察室。
 林田義彦(75)が窓のそばで診察椅子に座っている。
 外に見えるのは、雨に濡れてつややかな庭木たち。
 その向こうにわずかに人影が見える。
 少し足を引き摺りながら、林田郁恵(75)がお茶を運んでくる。

郁恵「又こっちに来とったんやな。ここでええ?」
林田「おおきに」
郁恵「雨が吹き込むから閉めたら?線状降水帯が来るらしいわぁ」
林田「当たりゃせえへんよ、予報は。当たったらおもろいけど」
郁恵「いつも外すのに予測する意味あるんかいな」
林田「外すのを恐れんで挑戦するのも楽しかろ」
郁恵「あら、又誰か来とるね…」
林田「佳子ちゃんやな」
郁恵「閉院のお知らせを読んどるね」
林田「うむ」

 郁恵、腰掛けてお茶を啜る。
郁恵「気づいてるのに声をかけへんのは申し訳あれへんわ」
林田「永遠に診たれる訳あれへんのやさかい、しゃぁない」
郁恵「切ないものやな」
林田「なぁに、ポチは大往生したし、映美は幸せな人生歩んどる。わしらは暢気に施設で暮らす。ええやないか」

 郁恵、お茶を啜る。
 林田、口の前で両手を組んで、何かを考えている。

郁恵「そう、私らはなかなかに幸せやな」
林田「雨だと飛散量は減るけども気圧が下がって調子を崩しやすいんや。雨の日に歩き回らん方がええ」
郁恵「佳子ちゃんに言うてくる?」
林田「言いだしたらキリがあれへん。あの子の顔みたら話がよう止まらん」
郁恵「閉院したんやから区切りつけなあかんか」

林田、お茶を啜る。

○同・外(日替わり)

 引越しトラックが玄関前に止まっている。

○同・診察室

 引越し業者が作業をしている。
 診察椅子に座った林田がぼんやりしている。
 郁恵と入れ違いに、業者が会釈しながら最後の箱を持っていく。
郁恵「全部、積み終えてしもうたわ」

 林田、無言。

郁恵「あんたは置いていったろか?」
林田「ポチの小屋があそこにあったな」
郁恵「映美は嫁入りの時、ポチと別れるんが辛うて泣いたわな」
林田「うちらと別れるより辛うて」
郁恵「待合室では子供がよう泣いとったな」
林田「みんな立派な大人になった」
郁恵「うちらまでここを離れる日ぃが来るとはなぁ」
林田「人間やし、生まれた時からわかっとったことやで」
郁恵「せやな。確かに」
林田「行こか」

 林田、立ち上がって玄関に歩き出す。
 郁恵、診察椅子に腰掛ける。

林田「何してんのや」
郁恵「いっぺん座ってみよっかなって」
林田「好きなだけ座っとったらええ。置いていくで」
郁恵「あんたの50年分の眺めを見とんねん」
林田「還暦祝いに買い替えたんやから20年しか使こてへんで」
郁恵「この椅子、ほんまに置いていくの?」
林田「ここに最後までいてもらうんや、わしの代わりに」
業者の声「先生、ぼちぼちトラック出したいんでっけど!」

 郁恵、慌てて立ち上がる。
 林田、手を貸す。
 林田、郁恵を軽く抱き寄せて、すぐに離す。

林田「ありがとさん」
郁恵「椅子に?医院に?ウチに?」
林田「全部や、町にも友達にも患者さんらにも」
郁恵「それにしちゃ軽いわな」
林田「早うせんと置いてくで」

残された診察椅子が軋んで、静まる。
壁にかけられたままのカレンダーは2014年10月。
玄関ドアが閉まる音。

介護施設・外観

 雲の切れ目から夕陽がさしている。

同・その一室

 窓辺にあるベッドに横たわる林田。
 壁のカレンダーが2024年6月。
 昔の家族写真と郁恵の遺影が飾ってある。
 看護師の藤沢みゆき(48)が入ってくる。

みゆき「林田さん、窓閉めましょ、予報ではこれから大雨ですって」
林田「線状降水帯予報は宝くじくらい当たらへん、開けといてや」
みゆき「当たるかもですよ。ウチの息子、てるてる坊主作っとったから」
林田「なんで?」
みゆき「運動会が嫌なんやって、足遅いから」
林田「運動会の日にあんた仕事か」
みゆき「別れた旦那が見に行ってるし、反抗期でウチとは口をきかんの」
林田「親心子知らずやな」
みゆき「林田さんちもそうやった?」
林田「子供はみんなそうやで」
みゆき「そんなもんか」
林田「見守る方はいつも一生懸命心配をするもんや」
みゆき「窓しめな体冷えるで、とかな」
林田「一本とられた。こらすんまへん」
みゆき「ほな閉めさしていただきます」

 みゆき、窓を閉めようと窓に手を伸ばす。
 雲の合間から夕焼けが鮮やかな光を放っている。
 しばらく見とれているみゆき。

林田「ありがとうさん」
みゆき「あ、いいえー」
林田「世間話もよう付き合うてくれたなぁ」
みゆき「ん?」
林田「ご両親見送って偉かったなぁ」
みゆき「誰のこと?」
林田「みんなや。今みんなが見えとんのや」
みゆき「あ、林田さん熱!こんなに火照って」
林田「慌てることあれへん、自分でわかる。お迎えが来ただけのこっちゃ」
みゆき「あっ、えっと、あっ…」

 みゆき、何をしたらいいのか分からなくなって混乱している。

林田「慌てんでええ」
みゆき「(ナースコールで)コードブルー、コードブルーです」
林田「深呼吸せえ」
  

 みゆき、深呼吸する。

みゆき「ハッ。そっちこそやわ」

 林田、笑う。

林田「花粉症の時はな」
みゆき「花粉症?!」
林田「忘れず薬を飲め。健康法もおちょくらんで、できることをちゃんとやるんやで」
みゆき「誰に言っとるの?映美さん?」
林田「全部や。あんたや、映美や、佳子ちゃんや、皆んなや」
みゆき「佳子ちゃんて誰?」
林田「いい子や。花粉症、最後まで診てやれんで申し訳あれへん」

雷が鳴って、突如大雨が降りだす。

林田「ほう。息子さんおめでとさん」
みゆき「林田さん、こんな時までまだ他人の事言うてないで。すぐ映美さんたち来るからがんばって」
林田「ええんや。会えても会えんでも、もう大した差はあれへん。おおきにって伝えとくれ」

林田、ゆっくり目を閉じる。

○同・外

 建物や木々、全てに激しい雨が降り注ぐ。

○小学校・校庭

 運動会が中止され、雨宿りしている子供たち。
 にっこり嬉しそうに空を見上げる一人の男の子。

○林田医院・診察室

 引越しの日のままの診察椅子。
 窓の外で大雨が降っている。

○介護施設・林田の個室

 横山映美(58)が林田の手を握っている。
 もう動かない林田。
映美「お父さん、心から感謝やで」
みゆき「お医者さんやったんですってね」
映美「うん。林田先生、お疲れ様やで」
みゆき「あ、虹」

大きな虹が出ている空。

みゆき「そうや、ありがとさんって伝えてと」
映美「皆んなにやな。この虹が伝えてくれるかいな」
みゆき「うん、きっと」

○林田医院・診察室

 椅子がきゅっと短く軋む。

 

 

 


 

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