名前を与える、ということ
私は、言葉が世界を形作っている、と言っても過言ではないと思っている。
言葉とは、私の目の前に広がる世界だ。
どういうことか。
例えば、私もあなたも、世界中の誰もが、自分の名前を持っている。
赤ちゃんが生まれたら、人は名前をつけるのだから当然だ。
さて、顔をあげて部屋の中を眺めてみよう。
私の目の前には、木で出来た本棚がそびえている。
本棚の中には、本、漫画、雑誌、映画や美術館のパンフレットなんかが並べられている。
床にはクッションが置かれていて、その上にぬいぐるみが座っている。
他にもカーテン、タンス、ベッドなど、様々なものがあるが、私が認識できているものにはすべて、1つだけ共通点ある。
それは、名前が付けられている、ということである。
私たちは、名前が付けられているから、事象を認識することができる。
だから、たとえ空気のように目に見えないものであっても、存在している、と認識することができるのだ。
名前を与える、という行為は、ある概念について、この物質世界に存在することを許す、という行為だと思う。
存在が許されて、この宇宙に晴れて生まれることができるのだから。
今、世界には名前がつけられない概念が溢れすぎていて、私たちは白黒つけられない問題をたくさん抱えている。
なんとなく、感覚的には理解できるのだけど、それを表現できるうまい言葉が見つからない。
この世界には存在できない、だけど、たしかに心の中には存在しているのに。
そういったもやもやを抱えて、息苦しさを覚えている人が、程度の差こそあるだろうが、きっとたくさんいるはずだ。
人間にできることは、どんなに頑張っても限界があるから、すべての人に解決策を提示することは難しい。
だけど、この世界に存在できないだけで、誰かの心の中に存在する、うまく言葉にできない苦しみや悲しみを、想像することはできる。
解決策にはならないけれど、少しだけ、優しい世界に変えることはできるかもしれない。
「ことばの定義」について思いを巡らせたとき、こんなことを考えた。
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