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観てる側も現実と仮想が分からないのはダメでしょ。【マトリックスレザレクションズ】
あちこちで酷評されたので、それ以外の話をしたい。
あらすじ
3部作のゲーム「マトリックス」をつくったクリエイター・アンダーソンは、夢と現実の境界が曖昧になる症状や度々生じる既視感に悩まされていた。社内では新作「マトリックス4」の企画が持ち上がり、その制作に追われる。そんな中、彼は自身がつくったゲームのキャラクター・モーフィアスと遭遇する。
正直企画段階からひどいものができると思ってたが、それを超えてきた。
ストーリーをざっくりと追うと、前三部作で機械と和解して戦争を食い止めたネオたちの続きの物語になる。
前三部作を、ゲームとして作ったのがアンダーソン(キアヌリーブス)だ。というメタな設定になり、作ってる側も訝しげなマトリックス4を作る会議をしている。
この時点で私は、前三部作そのものをフィクション内フィクションにして、またポットから抜け出し機械との戦争を止める流れになると思ってた。
マトリックス4を作る中で違和感を持ったアンダーソンは、モーフィアスと再会して再びマトリックスに閉じ込められてることを悟る。
再度、羊水ポッドから助け出されて現実の2200年に帰ってくる。
スミスと協力して、アナリストが作ったマトリックスからトリニティを救い出しマトリックスの作り直しをするところで物語は終わる。
正直言って、要らない映画だった。
色々と感動的なシーンや、ネオとトリニティの演技、衣装あるいはアクションは素晴らしかった。
どこからが現実で、どこからがマトリックスなのか
それが主題とは言え、観測者である我々はマトリックス側なら明らかな超人的アクションを求める。
そこから現実との比較を楽しんだ。
しかし、今作ではどこからがマトリックスかがよく分からない。前半の40分ほどは何度もネオが現実に帰ることを拒み続けたり、一瞬戻る描写もあるので余計だ。
そしてマトリックス側のアクションも、前三部作よりもしょぼい。
ラストもマトリックス側をどうしたいのか、彼らに何ができるのかさっぱり分からないため楽しめなかった。
モーフィアスの交代
今回モーフィアス役が、ローレンス フィッシュバーンから変わっている。
そのためトイレからの登場や、2回目を想起させるシーンでも入ってこない。後半は粒子体みたいな姿しか出てこないのも妙である。
今作では、モーフィアスのポジションにエージェント側の要素を混ぜた設定があるようだ。したがって、前半のサングラスを付け替えるシーンで初めて彼はモーフィアスであることを理解したのだろう。
アナリストが仕組んだのか、モーフィアスをエージェント側に入れることでネオの復活を妨げたつもりがスミスすらも味方につける結果をもたらした。
だから、前三部作のようにネオを信奉するモーフィアスではないことを示すためにキャストを変えたのかなと思った。
機械との協力、AIと混ざった社会
今作のマトリックスでは、人間の支配を望まない機械やネオの味方になる機械が現れた。
人間の隠れ家では、機械がマトリックスのデータからイチゴを作り出しているシーンもある。前三部作では食べ物といえば、ドロドロのお粥オンリーだったが機械との共存で人間は人間らしい生活を取り戻していた。
この辺りは90年代後半の、機械が暴走して人間を電池にするって思想からAIが当たり前になった2020年代の思想への転化を感じた。
マトリックスのバグであるスミスも協力的なことから、機械やAIとの共存もテーマだった。
唯一の敵は、アナリストが言う感情や物語だった。よりよい物語があれば人は電池になっても仕方がないと思う。
前三部作のアンダーソンは、表の仕事ではクビ寸前のハッカーだったが今作では世界的なゲームデザイナーとして成功していた。
トリニティーは、子どもが3人いる幸せな家庭で子育ての忙しい美人ママで、趣味のバイクも飛ばすことに満足してた。
2人ともそれっぽい物語に支配されていたが、結局は作り物であることに違和感があった。ネオは常に悪夢を見ていたし、トリニティーはティファニーという無茶な名前を嫌っていた。
感情や物語の怖さを描いていたのは良かったと思う。
しかし、トータルで見てもうんちだった。申し訳ないけど。
多分前三部作の終わりが、トリニティーとネオの自己犠牲だったことに満足しない層がいたんだろうな。