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2024/10/3 ガムを踏んでガムを削った記憶を取り戻す。

ガムを踏んだ。ガッデム。

今どき道端にガムを吐き捨てるような輩がまだこの世に存在しているのか。蛮族め、と心の中で毒づく。
どこで踏んだのかさっぱりわからない。坂を上る途中で気づいたのだ。右足の裏をアスファルトから剥がすときに少し抵抗があるということに。

一度気づくともうその前には戻れない。小さい小さい音で、ねち、ねち、と聞こえるのも煩わしい。左足だけでぐらぐらと立って右足のサンダルを脱ぐ。裏返すとばっちり白いものがついている。ちきしょー。ばかー。

だからといって素手で取りたいとは思わない。仕方なくまたサンダルを履いて、またねち、ねち、と坂を上った。

ガムといえば「ガム取り」だ。

高校生の頃、授業に遅刻したとか、課題の出来が悪かったとかで課される「罰」として存在した作業だ。お好み焼きやで使うみたいなヘラを使って、廊下にこびりついたガムを取る。

私の通っていた高校は、私服、土足、限りなく不干渉な学校だった。持ち物から何から自由にも程がある校風で、ほとんど全てが自己責任。楽しかった記憶が強いが、このガム取りだけはいただけなかった。

校舎は全て土足で、定時制まであったので朝から夜遅くまでかなり多くの人間が行ったり来たりしている場所だった。母数が多ければその分マナーのなってない輩だっている。掃除はそれなりに行き届いていたが、床に張り付いたガムは日常的な掃除の範囲外だった。いつしかガム取りは面倒くさい罰ゲームのような扱いになっていたのだった。

私がこのガム取りを言い渡されたのは高校1年生の時、一度だけ。地理の「坂ばあ」の授業に遅刻したのだった。どうだったかな、彼女がよく課題に出した「白地図」の出来が良くなかったんだったっけ。でもとにかくこの坂ばあにある日、私を含む数人が「おまえら、昼休みガム取りな」と言われたのだった。

非は完全にこちらにあったと記憶しているので、素直にヘラで廊下を擦った。厳しいが声を荒げたりこちらを不必要に貶めるタイプの先生ではなかった。ただただ地理を愛していて、課題が難しかった。時折してくれる世界情勢の話が面白かった。あの学校にはそういうタイプの先生が多かったな。当時50代も半ばだったと思うから、もう80歳くらいか。お元気かしら。

記憶というものは、あらゆる物質や事象に細い糸でつながっていて、少しのきっかけで思いがけない記憶がずるずる連鎖して思い出される。

あのガム取りの時、私は底の厚い青いサンダルを履いていて、玉虫色のペディキュアをしていた。灰色の廊下をを擦るヘラの銀と、揺れるジーンズの裾を覚えている。

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