訃報から始めるnote
note、読む専門だったけど書く気になった。
畏友で異兄のマジシャン、ナポレオンズのパルト小石さんが10月26日亡くなった。
もう長くはないだろうことは奥様の報告ブログでひしひしと伝わって来ていた。
出会ったのは2006年頃。世田谷区の三軒茶屋と駒沢大学の間くらいにあったバー「closed」でだった。
松尾貴史さんと小石さんがこのバーの経営に参画していらっしゃって、その縁で溜まり場のように夜毎集まっていた。私も当時三軒茶屋に住んでいた。
春風亭昇太さんもよくいらっしゃっていた。昇太師匠にはその縁でのちに私の映画「ママ、ごはんまだ?」にも出てもらった。
小石さんの故郷、岐阜県関市から蕎麦屋さんを呼んで手打ち蕎麦の会も何度か参加した。
closedが別の方に経営委譲されてからは様々な店で呑んだり食べたり。
肉にうるさい小石さんは焼肉店で「もっと旨い店あるよな」と毒づく事もあり、ステーキの食べ直しをした事もあった。
映画の企画の取材で澤田隆治Pを紹介してくださったのも小石さん。澤田さんは小石さんの所属する事務所の社長でもあった。
その澤田さんも今年五月に鬼籍に入られた。
6年前、神戸である映画祭が開催されることになり、アンバサダーを拝命した私は小石さんと共通の知り合いで私と同じく神戸出身の永田琴監督との対談を画策した。
「ギャラは格安です。その代わり美味しい肉をご馳走させて頂きます」。
私のこの口説き文句に乗ってくれた小石さんは、映画祭の対談だというのに例の「ぐるぐる」をやって下さって大ウケだった。
勿論「狙って」のチョイスだ。シャレだけではない、味もお眼鏡に叶うはずとの目論みだった。
案の定、小石さんは店主に「親戚です」とカマしてくれて大笑い。
最後に会ったのは2年前の9月。
渋谷・金王坂の中華居酒屋。フジテレビの阿部知代さん、そして二人の友人達との食事会。小石さんは「熱っぽい」とアルコールを口にせず、早退された。
この時期に病が発症したのだろう。以降お会いできる日はなかった。
ダンディズムの人だった。
特にマジックの事、芸の在り方みたいな話をした記憶はないが、泥臭さを嫌っていた。軽妙洒脱、を旨とされていたように思う。
他人への悪口がなかった。
外に出せない楽屋話しは無類にオモシロかった。
小石さん、うまいもん行きましょうと、もう誘えない。
2009年頃。私の映画「能登の花ヨメ」を観に来て下さった時。
ストライプ柄のスーツが被ったので「漫才コンビみたい」と撮った一枚。
Rest in Peace.
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