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敵はウイルスだけじゃない
先日の朝日新聞“天声人語”の最初の一文に思わず「わかるぅ‥」と共感してしまった。
”安心して感染したい”
コロナの感染者がまだ出ていない街では、自分が最初の感染者になることに恐怖を感じている人は多い。職場でもそうだろう。この日のこのコラムに出てくる言葉は、コロナ禍で皆一度は口にしたか、心の中で思ったことがあるはずだ。
「狭い町で噂になるから一人目だけはなりたくない」
「感染したって分かったらすぐに村八分にされる」
「うちが感染源になったら、ご近所に申し開きできない」
正直、例えばご近所に陽性者が出たとして、私がそのお宅のことをああだこうだ言うところは想像できない。
「大変だろうな。ご家族は大丈夫なのかな。」くらいは思うけど、それ以上のいわゆる“後ろ指”をさすようなことはしないと思う。逆に我が家が感染源になってしまったとして、ご近所から後ろ指をさされるのだろうか?これも無い気がする。
多分だけど、後ろ指を指してくるのは直接交流のない地元民だ。さして知らないのに、あそこの家はどうしたとか、休日に遊びに行ったらしいよとか、「〜らしい」で結論付けられてしまうのだろう。そしてそれはネットも同じだろう。
「噂するのも村八分にするのも陰口叩くのもウイルスじゃない。この、『ひと』なんだよなぁ」
誰だって感染したくてしているわけではない。気をつけてはいても感染することはある。風邪をひくのと同じだ。もし誰かが感染しても、その人だって不安を抱えている。病気が治るかどうかも重要だが、日常生活が今まで通りにいかなくなる方がより辛い。感染した人を色眼鏡で見ずに、早くよくなって欲しいと願い、励ますことができる街であり、人でありたい。だって明日には自分が感染してしまうかも知れないのだから。
コラムの締めくくりはこうだ。
「老若男女、だれもが安心して感染できる世の中でありたい。そうなれば闘う相手はウイルスだけで済む。」