スズメの話、ツバメの話
最近、スズメとツバメが出てくる昔話があるのを知ったのだが、私が思っていたスズメとツバメのイメージとはかなり違っていて驚いたのだった。スズメについては正直どこにでもいて、稲刈りの済んだ田んぼで落ちている米をついばんでいる鳥、というぐらいのイメージしか無い。対してツバメは、
害虫を食べてくれる益鳥
商家に巣を作ると商売繁盛する
民家に巣を作ると縁起が良い
などなど、幸せの青い鳥的なイメージがある。いや黒いけど、良いイメージを持っている人は多いと思う。しかも虫を食べてくれるから、ますます益鳥として有り難がられる。
結婚したばかりの頃は、まだ新しい家の軒下にツバメが巣を作って家の壁やなんかが汚れるのが嫌で、効果があるかどうかは分からなかったけれど、ビニール袋や風船をぶら下げてツバメの巣作りの邪魔をしていたこともあった。ある年に巣を作られてからは1つあろうが2つあろうが大差無いとばかりに放置していた。
ツバメの巣は、巣の使用が終わってから土や泥で出来た巣を落としても、壁に付いた汚れはなかなか落ちない。というか、落ちない。適当なところでもういいか、となって、結局巣の跡形は残ったまま。それが今我が家には5つくらいある。どうせなら同じ場所に作ってくれればいいのに、毎年微妙に位置をずらされるのだ。巣の中に子ツバメたちが口を大きく開けてエサを待っている、そこへ親ツバメが虫をくわえて帰ってくる。そんな光景を見て子どもたちが喜んでいたもんだった。
それはさておき、前述の昔話。
調べてみるといろいろなパターンやアレンジがあるようだが、ザッとこんなお話。
昔スズメとツバメは仲の良い姉妹だった。スズメは着るものにこだわらない地味な服、対してツバメはオシャレが大好きでいつも身なりを気にしていた。
ある時遠い山の向こうに住むお父さんとお母さんが病気で死にそうだという知らせがきた。
スズメは取るものもとりあえず駆けつけて両親の死に目に会えた。ところがツバメはきちんとした身なりでいかなくてはいけないとお化粧をしたり着飾ったりしていたら遅くなってしまって、結果両親の死に目に会えなかった。
この事を知った森の神様が「親孝行なスズメは、とても感心だ。これからは、おいしい物を食べて暮らすように」と、人間と同じ様にお米を食べる事を許した。しかし、遅れてしまったツバメには、「親の一大事に遅れるとはけしからん」と、 一生お米を食べる事は許さず虫だけを食べるように、また稲が実る頃になると遠い国へ行くようにと命じた。
あれ?ツバメよりスズメのほうが立派!それだけでもビックリなのにさらに驚くのは、ツバメが虫を食べることや秋になると南の国へ行くことは、罰だったっということ。一説によると、ツバメが土や泥で巣を作るのも罰の1つとも。対してスズメは年中日本にいて、穀物を食べている。穀物を食べるから害鳥のように思われがちなのだ。巣は稲などの植物を使って作っているのもツバメとは違う。
考えてみると、昔話でチュンチュン鳴くのはスズメだし、童謡の歌詞にもスズメは出てくる。
雀の学校 →チイチイバッパチイバッパ雀の学校の先生は...
かわいいかくれんぼ →スズメがね お庭でチョンチョンかくれんぼ...
犬のおまわりさん →スズメに聞いてもわからない
手のひらを太陽に →スズメだって イナゴだって カゲロウだって...
しかし、ツバメが歌詞に出てくる昔話や童謡って思い浮かばない。これも神様の罰なのか。
親の死に目に会えなかった代償は大きい。
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