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7つの意欲② 人間学 第4講
しかし、人が「動機」を繰り出すとき、それだけではなく、そのもとに何かが静かに響いています。
その静かに鳴り響いているものが、「願い」というものです。
「願い」は精神の領域から鳴り響く意欲です。
「動機」から何かをなすときに、さらによく為す、あるいは間違えて為す「願い」が、「動機」意欲の下にいつも鳴り響いています。
「願い」というと、うまく為すことへの思いのような気がしますが、この場合、間違えることへも響く「願い」なのです。
それは、うまくやりたいことが成功しても、そこで満足するのではなく、さらによく為すためにどうしたらいいか考えること。
また、うまくいかず間違えたり、失敗したときも悔やむのではなく、そこから学び、さらによく為すために考えて行動することが、失敗を悔やむよりずっと大きな価値のあることなのだということ。
すべてに意味を見出し、成長し続けることが、下意識のもう一人の「わたし」の「願い」なのです。
きっと、そういう願いが、自分のうちになり響いていることを知る人は、どんな人生の荒波も、自分の糧として生きることができるのではないでしょうか。
そして、「動機」をさらによく為そうという意欲において、「願い」が「はからい」へと仕立てられ、「はからい」も静かに響き始めます。
これはもう、無意識の世界、意識化されないところで、下意識の「わたし」が人生の道をしいている、大いなる「はからい」です。
考えて動くのではなく、「なんとなくここへ行きたい。」とか「何度もこの人と出会ってしまう」といった、偶然のような「はからい」です。
最後に、こころがからだと解き放たれるようになって、その「はからい」が「つもり」となります。
「はからい」が兆しのようにこころに響き続け、そこに「つもり」が続きます。
「つもり」は今生のテーマです。生まれる前から死んだ後も、きっと鳴り響いている。
それは、「わたしはなぜ生まれてきたのか、わたしは何のために生きているのか」という問いの答えなのかもしれません。
「つもり」それは、この生のうちだけでつかむことができないものかもしれません。
しかし、確実になり響いている。
「本能」「もよおし」「慾」というからだの領域から仕立て上げられる意欲と、
「願い」「はからい」「つもり」という精神の領域からなり響いてくる「意欲」が、
交わり合うこころの領域の意欲、「動機」。
「動機」は、下意識の「わたし」の意欲の響きに耳を澄ませることで新たに湧き出る泉のように、さらにやまない意欲が生まれるのではないか?
大いなる「願い」「はからい」「つもり」が人間誰しも、なり響いていることを忘れないでいたいと思います。
次回は、
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※精巧堂出版の 鈴木一博訳『普遍人間学』 を使います。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
文:momo