量子力学について。※フィクション
※以下の文章は完全なるフィクションです。
全く事実と異なる場合ばかりですのでご注意ください。
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僕のもつ一年生向けの講義おわり、男子学生が僕に数枚のレポート用紙を手渡してきた。
講義終了後、学生は私に鋭い切長の目を私に向けてギラつかせ、ただの一言も発さずに手渡してきた。
僕は面食らって一瞬たじろいだのだけど、それを相手に見破られないように平然とそのレポート用紙を受け取った。
学生はぐるりと右向け右すると、そのまま悠々と教室を出て行ってしまった。
レポート用紙には心底雑な文字が羅列されており、読む気になかなかなれないような代物であった。
講義資料を片し、僕は自分の研究室に戻ってコーヒーメーカでコーヒーを作る。
ラップトップを開いて、この講義中に注目すべきメールが届いていなかったことを一通り確認する。
ホッとしたところで、コーヒーを一口。
仕方ない、これを読むかとある種の気合を入れてその乱雑さ極まりない文字列に目を通す。
「量子力学を生物に用いることで様々な疑問が解決せれようとしています。
例えば、渡り鳥がどうして方角を正確に感知できるのかという問いにも答えることができます。
鳥コンパスは地磁気の方向と強さを感知できる能力のことです。
鳥コンパスのメカニズムは量子もつれ状態にある遊離基のペアが使うというものです。
この説が発表された当時は見向きもされなかったが、現在は有力な説にまでなっています。
他にもヒトの意思や生命の発生といった、いわば哲学的な問いにも量子力学を用いることにより科学的に答えを出すことができるかもしれません。
量子生物学は非常に興味深い学問なのであります。
私は量子生物学を用いて遺伝について詳しく研究したいと考えています。
DNAは基本的に何世代にもわたって情報が保持されています。
しかし、高くない確率で突然変異が起きることもあり、これが進化につながります。
この突然変異が起きる原因が量子トンネル効果なのではないかと考えられています。
量子トンネル効果は十分なエネルギーがなくとも起こる現象なので、突然変異の要因の有力候補とされています。
ただし、その重要度については理解がまだ進んでいないため、未解決問題となっています。
今後、量子トンネル効果と遺伝との関係についてさらに深い理解を得ることができれば、我々の社会にも還元できることと考えています。
医療分野で言いますと、細胞の癌化が挙げられます。
遺伝子の異常で癌化すると考えられており、量子トンネル効果の深い知識によって癌化を防ぐことも可能になるかもしれません。
また、脳活動と量子の関係も大変興味深いものです。
ヒトがどのように思考するのか、それを物理で解き明かせるかもしれません。
脳の仕組みについてさらなる理解が進めば、認知症やパーキンソン病などといった脳疾患の治療にも役立てることも可能かと考えております。
医療分野だけでなく、コンピューターの分野にも活用することができると思っています。DNAをUSBのような記録装置として使用するという研究が行われています。
DNAは数多の生命から見て取れるように何億年という時間保存することができる保存媒体です。
その機能をコンピューターに使わないという手はないというわけです。
DNAについてさらに詳しい知識を得ることで現段階よりも実用的な保存媒体になると私は確信しております。
ただ、現段階ではDNAへの情報の書き出しや読み込み、DNA本体の保存方法などにまだ技術的に困難なことも多々あるので、実用化にはさらなる研究が必要かと思われます。
また、前述したようにヒトの思考について明らかになってくると、AIへ活用することもできます。
現在のAIは深層学習により賢くなっていますが、シンギュラリティには達しないだろうという見方も出てきています。
その理由は、人間のように思考することができないためのようです。
ただ、人間の思考についてさらに理解が進めば、人間の思考を完全に再現できるようになるでしょう。
そのとき本当のシンギュラリティが訪れることと思います。
この量子生物学の応用は人間社会を根本から覆すようなものになることでしょう。
人間のように意識を持つAIは恐ろしくも感じますが、私の好奇心を掻き立てるテーマと思っています。
しかし、人間の意識を再現する人工知能というのは、倫理的問題も数多く存在するため科学者のみならず、各方面の専門家の協力もなければ実現しないことであると考えております。
以上のように、私は量子生物学を研究するということは人類の知的欲求を満たすためではなく、人類社会に大きなパラダイムシフトを起こすことだと考えています。
量子力学を研究し、その成果を様々な産業分野に生かし、豊かな社会を築く一助となれるように尽力させていただきたいと思っています。」
以上。
若者の決意表明を否定する気はもちろんないのだけれど、なかなかな散文を読まされているということに腹が立つ。
途中の、レポート用紙に貼り付けられた一枚の滝の写真。
文と文の非連続性をただただ強調するためだけに配置されている。
滝の前後の川同士の非連続性へのメタファーなのか。
だとしたら何も上手くない。苦笑。
すなわち、リモート講義は精神衛生上、よくわからない文字の羅列を丸腰の状態で突き付けられないという点において、よかったのかもしれないな。
冷め切ったコーヒーを一口。
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