ビジネスパーソンとクリエイターがわかりあえない構造的理由。
「わかりあえない」のは本当に努力不足のせい?
「クリエイターは、なにを考えているのか、さっぱりわからない」
「いい案なのに、クライアントがわかってくれない」
仕事柄、ぼくはクリエイターにも、ビジネスパーソンと呼ばれる人たちにもかかわる立場にいるのですが、その両方からよく聞かされるのが「わかりあえない」という言葉です。ビジネスパーソンはクリエイターの考えていることが、クリエイターはビジネスパーソンの考えていることが、それぞれなんだかピンとこない。もちろんはなから互いに相手を拒絶しているわけじゃないし、両者の関係がわるいわけでもありません。仕事の合間にはふつうに世間話だってしているはず。でも、肝心の仕事のことになると「わかりあえない」ことが多々ある……。
この「わかりあえない」は、ビジネスパーソンの側でも、クリエイターの側でも問題視されていて、「原因はビジネスパーソンの(クリエイティブに関する)勉強不足だ」「いや、クリエイターの言語能力の問題だ」などと、あれこれ議論がなされてもいます。
でも、本当の原因は、勉強不足や言語能力不足ではなく、もっと別のところにあるのではないか──ぼくはそうみています。努力不足、能力・スキル不足という個人の問題ではなく(まったくそれがないとまではいいませんが)、もっと本質的な部分の問題。いうなれば、構造的理由です。
注目したいのは「モノサシのありか」
じつは、両者と仕事をしていると、「そもそもの部分で、ビジネスパーソンとクリエイターは、なにかがちがうのではないか」と感じさせられる瞬間があるのです。そのひとつが、こちらからお願いしたことをやりとげたあとの彼らの反応です。
たとえば、講演をお願いしたとき。当日、ひとしきり話をし、出番が終わるとビジネスパーソンの多くは、プロデュース役のぼくのところにやってきて、つぎのように訊ねます。
「私、変なことをいったりしていませんでしたか?」
いっぽう、クリエイターの多くは、出番が終わると、やはりぼくのところにやってきて、つぎのように訊きます。
「私の話、おもしろかったですか?」
もちろん全員が全員、まったく同じ訊きかたをするわけではありませんが……、ざっくりとですが、こうした反応をする傾向が両者にはあります。
いったい、この「反応のちがい」に、なにが読み取れるのか。
ビジネスパーソンは「正しさ」を重視し、クリエイターは「おもしろさ」を重視している──そう片づけることもできますが、もう少しだけ踏みこんで……、ここで注目したいのは、それぞれの「モノサシ(判断基準)のありか」です。
「変なことをいっていないか」と気にするビジネスパーソンは、「社会のどこかに存在しているモノサシ」に照らして、自分の話の正しさ、適切さを推しはかろうとしています。
それに対して、「おもしろかったか」を気にするクリエイターは、「話を聞いた人の実感というモノサシ」に照らして、正しさ、適切さを推しはかろうとしている。
要するに、ビジネスパーソンはおもに「人の外側」にモノサシを置き、クリエイターは「人の内側」にモノサシを置いているのです。
たとえば、なにかモノの設置場所を考えるときに、「ここにあると便利だ」とか、美しさに配慮するとしても「黄金比からするとここだ」などと、理論や法則にもとづく正しさを根拠に決めるのがビジネスパーソン的な判断で、「この位置関係が気持ちがいい(しっくりくる)から、ここにしよう」などと内的な正しさ(あくまで正しさであって、単なる好き嫌いではない)を根拠に決めるのがクリエイター的判断、ということ。そもそも、ものごとの評価のしかたがちがっています。
そんな「モノサシのありか」が異なる者同士が、同じ土俵の上にいるつもりで評価の話をしても、根拠がちがうわけですから「わかりあえる」はずがありません。ビジネスパーソンとクリエイターが「わかりあえない」根底には、構造的な理由があるのです。
そのことをふまえずに、ビジネスパーソンがやみくもにクリエイティブの知識をたくわえても、「人の外側」にモノサシを置いている以上はクリエイターに寄りそうことはできませんし、クリエイターが単純に言語力やコミュニケーション能力を高めても、ビジネスパーソンのモノサシが「人の外側」にあることをふまえなければ、やっぱり話はかみ合わないでしょう。
2つのモノサシをつなぐために
だったら、どうすればいいのか。
ビジネスパーソンのなかには、「クリエイターも、発注主のこちらのモノサシでものを考えてくれたらいいのに」といいたくなる人もいるかもしれません。でも、クリエイターが人びとの気持ちに届くものを生みだすことができるのは、「人の内側」にあるモノサシに照らすからこそ、です。そこを変えてしまうと、そもそもクリエイターの仕事は成り立たなくなってしまいます。
それなら、ビジネスパーソンも一緒になって「人の内側」にあるモノサシで考えればいいんじゃないか──。これは一理あります。オーナー企業やスタートアップには近い判断基準で動いている経営者がいますし、実際にそういう人たちはクリエイターとの意思疎通ができていたりもする。ただ、企業などに属して働くビジネスパーソンの場合は、組織内での意思決定のプロセスを経ねばならず、どうしても「人の外側」のモノサシを用いざるをえません。
そう考えると、使うモノサシを「人の外側」だけにするのも、「人の内側」だけにするのも、ちょっと難しそうです。
となると、考えなくてはいけないのは、「人の外側」のモノサシと「人の内側」のモノサシのあいだに“橋をかける”こと。そのためにもまず、お互いに「相手は自分とモノサシのありかが異なる」ということをはっきりと意識するところからはじめる必要があります。
そのうえで、相手と話しあうときには、自分が使ったモノサシで「正しい」としたものを、相手が使うモノサシに翻訳して伝える努力をする(たとえば、クリエイターなら自分の内側のモノサシに照らして正しいと確認したものを、世の中の理論や法則に置きかえて説明する、ビジネスパーソンなら理論や法則をもとに考えたことを、人の気持ちや本能的なものなどにあてはめて説明する)。そうすれば、即座に「わかりあう」とまではいかなくても、“握手”できる可能性が高まります。
「わからない」と悩むのは、相手も「同じ構造」で考えている、と思うから。「ちがい」をきちんと意識できれば、それなりにやりようも見えてきそうです。