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エキセントリックだけどずっと温かい 『グッド・バーガー』


もともとは子ども向けコメディ番組のコントシリーズだった

 「グッド・バーガーへようこそ、グッド・バーガーの本店へようこそ、ご注文はいかが?」。ハンバーガーショップでアルバイトする黒人の高校生コンビが、大いなる陰謀に立ち向かう喜劇──それが『グッド・バーガー』(97)だ。もともとは子ども向け放送局・ニコロデオンのコメディ番組『オール・ザット』(94〜05)のコントシリーズで、劇場用映画として作られた本作は、主人公がアルバイトを始めることになった経緯から描き出す。

 番組の共同クリエイターだったブライアン・ロビンスが監督を務め(長編劇映画としては本作が監督デビュー作)、番組の顔だった「キーナン&ケル」ことケル・ミッチェルとキーナン・トンプソンがそのまま主演を務めている(クレジットではトンプソンがトップ扱い)。このほか、同番組でプロデューサーも務めていたダン・シュナイダーや、レギュラーだったロリ・ベス・デンバーグなども脇役として出演している。


コメディ映画で第一に重要なのはキャラクターなのだろう

 プロット自体は「ティーン向け」というよりも「キッズ向け」だが、ティーンを主人公としたコメディ映画としては大満足の出来栄えである。1990年代後半を代表する大傑作コメディ映画だとすら思う。登場人物が個性的で、自然な善意で緩やかに結び付いている。ロビンス監督がそれぞれのキャラクターを(悪役を含め)愛着をもって描いてることにも好感を抱かされた。

 老従業員やサイコパス女性、さらには精神病棟に入れられている巨漢や、ライバルハンバーガー店「モンドバーガー」オーナーの側近二人組の描き方はいずれも丁寧かつ親密であり、脇役もぞんざいに扱われていないところが好もしい。そのおかげでこの映画は、時にエキセントリックな面を見せながらも、全体的には一貫して温かさを保っている。

 やはりコメディ映画において第一に重要なのはキャラクターであり、その描き方なのだろう。それによって作品の世界観は変動を生じ、たとえ同じあらすじであっても観客に異なる印象をもたらす。どの「印象」を気に入るかは観客の好き好きだが、私としてはロビンス監督作品や『パロディ放送局UHF』(89)の「温度」に、たまらない愛しさと親しみ(≒懐かしさ)を覚えてしまってしょうがない。


ブライアン・ロビンス監督は「多様性」を強く意識している

 本作を観ていて思ったのは、この作品に限らず、ロビンスの監督作品では「多様性」が強く意識されているということである。劇中では白人しか映っていない画(え)や、逆に黒人しか映っていない画も極力避けられている。例えば「モンドバーガー」の側近二人組は白人と黒人のコンビである。

 男女のバランスについても同様で、エド(ケル・ミッチェル)とデクスター(キーナン・トンプソン)が精神病棟から逃げようとする際には、物語上は必ずしも必要ではないはずのサイコパスの白人女性(リンダ・カデリーニ)が彼らに同行している。そしてもちろん、これらの脇役はユニークに設定されながら、温かみをもって表現されているのだ。

 サイコパスの白人女性が「キーナン&ケル」と一緒に病棟を脱出できなかったのはやや残念な展開だったものの(それはストーリー上仕方ないか)、「多様性」への心配りという点も含めて、本作は私にとって完全に理想的な「温度」で包まれたコメディ映画なのである。


「いいヤツなんだけどバカ」「バカなんだけどいいヤツ」

 当然ながら、主演を務めた「キーナン&ケル」の好演にも触れないわけにはいかない。二人とも当時はまだティーンエイジャーだったわけだが、のちに『サタデー・ナイト・ライブ』(75〜)のレギュラーに起用されることになるトンプソンのリアクション芸も、のちに『ゲームシェイカーズ』(2015~19)で奇抜なラッパーを演じることになるミッチェルのキャラクター演技も、ひとまずのところ完成しているように見受けられる。

 特にミッチェルの演じる「いいヤツなんだけどバカ」「バカなんだけどいいヤツ」なキャラクターは、ハスキーなんだかしゃがれているんだか分からない独特な声質の効果もあって、十分に見応えのあるキャラクターになっている。話によると、ミッチェルはジェリー・ルイスの主演作を通じて芸を研究していた時期もあったそうで、彼のキャラクターは「古典的教材」によって裏打ちされたものだと言えるのかもしれない。

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