インターネットと楽譜と活版印刷
[ Vol.007 ] (2659文字)
以前、Voicyのサウザーラジオ(第63話、64話)を聞いて、なるほどね~と目から鱗が落ち、その後ぼくが誰かと出会ってインターネットの話をするときにいかにも自分が考えたかのように話してたドヤネタ笑があります。
それは、今のインターネットにおける時代の変遷は、数百年前に活版印刷が生まれた時代の状況とよく似ているという事。
簡単にまとめると、活版印刷という技術が生まれるまで聖書はカトリックの一部の人たちだけが正しい内容を知っていて、彼らはその状況をうまく利用して大衆を自分の都合の良いように洗脳し、免罪符などで不当な利益を得ることが出来ていたんだけど、活版印刷という技術革新が起きて大量に聖書が広まることによって大衆に真実が知れ渡ってしまい簡単に騙せなくなってしまったうえにその後プロテスタントの反乱にあってしまった。
そしてその活版印刷の普及は、技術的・物理的・教育的な問題もあるけど、そういう不当利益を得ていた人たちの妨害などもあり結局長い時間がかかったということ。
1445年頃にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明したとされる。欧州初の活版印刷書籍は聖書であった。(wikipedia)
と、数百年後のぼくらが文章で書くと歴史の ”ある瞬間” の出来事みたいな感じがするけど、実はしっかり普及するまでに100年近くという時間が費やされていたのです。
つまりサウザー氏曰く、「社会の変化は思っている以上にゆっくりだ。」ということです。
インターネットも意外にスローです。
そして今、インターネットが普及しはじめて20年くらいかな?
数百年後の歴史の教科書にはおそらく「インターネットの普及により社会の仕組みが大きく変わった激動の時だった。」と書かれそうな状況にも関わらず、日々生活している現世のぼくらからするとじわじわと生活の中に入り込んで来ている感じで未だにその本当の価値に気が付いていない人も多いような気がします。
活版印刷が普及しても識字率が高まるまでは社会の変化は起きなかったように、インターネットが普及しても、社会の人たち(特にローカルの人たち)のインターネットに対する理解力の向上やそういう事を諦めてしまっている世代の淘汰がなければ社会は目に見えて変化しないということです。
とはいえ、そんな事を言っている間にもインターネットにおいての明らかな先行利益のフェーズはそろそろ過ぎ去りつつあり、スマホで誰もが手のひらで情報を得ることが出来るようになった今、みんなが何でも「知って」しまって、何事も簡単に騙せなくなってきているようになったのは事実です。
口伝から楽譜へ変わっていった時代
先日、そんな話を高校の同級生であり光浦醸造のショップミュージックを作ってくれた音楽家の永田壮一郎氏に話したら、
「それって楽譜と似てるな。」 とひとこと。
キリスト教のグレゴリオ聖歌は教会の初期から歌われてきて何世紀もの間、口伝によって伝えられてきたけど9世紀頃にネウマといった初期の記譜法が発展し、みんなに平等に正しく音楽が伝わるようになったらしい。
ちなみにネウマとはギリシャ語で「合図、身振り」という意味で、合唱を指揮する際の手の合図であって、ト音記号の音符である♩は、指揮者が高音を表す手の合図、つまり人差し指を上にあげた形から来ており、ヘ音記号の音符である♩を逆さにしたものは低音を指示した人差し指を下に向けた手の形を表したものだとか。(諸説あり)
楽譜が作られた後、それを努力して早く理解した人たちによってその後の音楽という文化はどこかのタイミングで爆発的に高度発展したのだろうし、それまで口伝により出し惜しみをして不当な利益(?)を得ていた人たちは居場所をなくしてしまったのではないだろうか?
なるほど、言われてみると確かにインターネットと楽譜と活版印刷は似ているなぁと思ったのです。
いつの時代も興味を持って努力した人が強い
共通するのがいつの時代も先端技術の可能性を早くに理解し、信じて努力した人が先行利益を得ていて、一方で世の中のほとんどの人はインフラ化までされてもまだ身を任すだけという状況なのだということ。
楽譜なんて未だにインフラ化してない(音が頭の中に流れるほど正確に読める人は少ない)ですもんね。
つまり結局は努力して勉強しなきゃダメよって事。
付け加えると時代の変化は意外と緩やかなので、それほど早く始めなくても、例えば今でも歴史上の ネット化への変遷という長いスパンで見るとまだまだ初期段階であろうし、何かしらそれを使って世の中の優位に立つ可能性がある状況だと思うのです。
正直である必要性と、センスが評価されるということ。
彼は続けてこうも言ってました。
インターネットが今のレベルまで普及して情報の平等性とスピード性が生まれたことによって、これからの時代は「正直者でないといけない。」とともに、「センスの時代に突入する。」とのこと。
センス?
正直、ん?っと思いました。ぼくはセンスとは何もないところから急に降り注ぐものじゃなくて、過去の情報を組み合わせることであって、知識の絶対量に比例する、つまりセンスは根性で何とかなるものと信じていたからです。
でも、ここで彼のいうセンスとはぼくの考えるそういう例えば「売れるデザイン」のような簡易的な小手先のセンスとは全くレベルの違う、恐らく神がかり的で誰にも真似できない「本当のセンス」のことを言っているのだろうと感じて合点がいった。
これまで凡人では理解しがたい「本当のセンス」を持った人はゴッホのように死後数年たってからようやく評価されるようなことも多かったけど、今の情報スピードの速さからして、本当のセンスを持った人が生きているうちに真っ当に評価されやすくなった、つまり、「本当のセンス」がマーケットになる時代が来るという事が言いたいのだと思う。(という勝手な解釈)
それは世の中的には大変素敵なことだけども、ある意味では迷惑なことですね、「本当のセンス」が皆無なぼくらにとってはw。
まぁ「社会の変化は思っている以上にゆっくりだ」という言葉を信じて、少なくとも正直者ではあろうと思う。何がどうあれ、それが正しい選択となる時代になるのは間違いないから。
そして「本当のセンスの時代」が来る前に、せめて小手先のセンスを鍛えて太刀打ち出来るように日々情報を得て知識をつける努力をし続けていかないといけないのだろう。
ちょっと情けないけどそういう結論ですな。