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恩師から「神経症を発症するタイプだね」と言われてすっごく気持ちが楽になった22歳の時
大学院に通っていた当時、ゼミの先生と出会った。
先生は2年間の付き合いの中で、尊敬する恩師として私の中で大きな存在となった。
恩師と出会ったのは22歳の時なので、もう出会って15年以上は経つのか。
早いものだ。
恩師は人の名前と顔を記憶するのが苦手で、私の名前を記憶して呼べるようになるまで1年かかった。
週に3日は会っていたけれど、どうしても難しかったらしい。
そういうところが私は非常に好きだ。
名前と顔を記憶するのは苦手だが、相手のことは本当によく見ている人で、私がどうしようもなくコミュニケーションが苦手で、それをなんとか隠そうと必死に振る舞っている事はすぐに見抜いてくれていた。
卒業生も集まってゼミが開催される日に、私が緊張と不安で顔を真っ青にして大学に現れると、「無理しなくていいからね」とボソッと呟くように言ってくれた事はよく覚えている。
ゼミの人は卒業生も含めて皆、穏和な人ばかりで、とって喰われるような事は全くないのだが、私の場合、知らない人がいるところに行く事が非常に苦痛で仕方がない。
そんな苦痛を理解してくれ、その苦痛を和らげようと努めてくれる人がいる事に心から安堵した。
それ以降、月一回のペースで開催されるたくさんの人が参加するゼミが楽しみになった。
ゼミに入って半年くらいした頃。
恩師と、ゼミの2回生と前年に卒業した先輩と4人でご飯を食べに行った。
色々と話をしてくれたり、私の話を聞いてくれたりと、面白かった。
そこそこお酒も入り、場もあたたまった頃に、恩師がふとつぶやいた。
『花畑さんは、神経症を発症するタイプだね』
神経症?なんだっけ?
22歳の私はなんとなくその疾患名を知っていたけど、あまりピンとこなかった。
一緒にいた先輩たちが、ちょっと困ったような顔をして、「また先生はそういう事をすぐ言っちゃうから」と嗜めていたから、一般的にはあまり良い印象は受けない発言なんだろうな、という事はわかった。
家に帰ってから改めて神経症について調べてみると、正に自分の生態がそこに記されているかのような症状が羅列してあった。
それを読んで、私はとても嬉しくなった。
私はこう思った。
なんだ、私だけじゃなかったのか。
私だけがうまく生きられなくて、私だけが社会に適応できなくて、私だけが取り残されているんじゃなかったのか。
ほっとした。
私は、20歳の頃に大学に通えなくなった経験があった。
どうにも人間関係がうまくいかず、まともに相手をしなければよかった相手にぶつかりに行ってしまい、結局体調を崩した。
それで、半年ほど大学を休んだ。
休学届けを出したわけでもなく、自主的に何もしない時間を持っただけだった。
ひたすら家族とだけ過ごし、自分の事だけ考える時間を持った。
そのうち大学を卒業するにはそろそろ通わないといけないな、と思い、また通い出した。
元々、狭い人間関係を築く私は、一つのコミュニティで人間関係がうまくいかなくなったので、他に親しい関係もなく、大学に通っているのに誰とも話さず1日を終える事もよくあった。
それでも、苦痛はなかった。
それまで、コミュニティに所属していて楽しかったはずだったが、本音は違ったのだ。
無理して周りに合わせて、本当は楽しくない事を楽しいと思い込んでいただけだった。
その関係を清算してから、ずっと一人で2年間大学に通ったが、意外と楽しかった。
ただ、不安はあった。
私はこのままどうなってしまうのだろう。
友達もいない。
知り合いもいない。
こんな人間はこの先どうやって生きていくのだろう。
友達も作れないような人間がどうやって社会に出て生きていくのだろう。
その頃、もっと学びたいという事が出てきたので、大学院に進学する事を決めた。
でも、本音は、社会に出る不安があったから逃げたかったのかも知れない。
そんな風に、自分という人間が社会に不適応であろうという不安をずっと抱えていた時期に、恩師からもらった言葉は、私に大きな安心をもたらしてくれた。
先輩たちは、「そんな失礼なこと言って」と嗜めていたが、私にとっては、自分という人間を理解する大きなヒントになったし、人間関係に悩み、苦しみ、それでも生きようとする人は自分だけではないのだ、ととても嬉しかった。
結局、私が神経症なのかどうかはいまだに判らないままだ。
恩師は医師なので、診断はできるのだが、診断はしてくれなかったし、自分でも診断を受けにいかなかった。
私にとっては、診断があるかどうかより、自分が何者かを知れること、それが最も重要だったのだ。
自分が何に悩み、何に苦しんでいるのか、それを分析するヒントが欲しかったのだ。
恩師はそういう私の事をすっかり見抜いてくれていたらしい。
酒飲んでたけどな。
私は、自分の事を知る事が好きなのだ。
占いも好きだが、精神疾患や発達障害など、医学的な症状に自分の状態像を当てはめて理解するのも大好きだ。
自分の中にある困っている事や、生きにくさについて、精神疾患の症状や発達障害の症状に当てはまる部分を見つけて、それにどう対処すると生きやすいのか、それに思いをはせてみる。
インターネットで調べれば、同じような状態の人がどうやって工夫して生きているかをたくさん知ることができるので、とてもありがたい。
例えば、感覚過敏という症状があるが、私の場合、音に対する過敏性があるので、ノイズキャンセリングのイヤホンにはとても助けられている。
こんな風に、自分を知り、自分とうまくお付き合いする方法を知るきっかけをくれたのは、あの時の恩師の酒飲みながら放った一言だった。
ありがてえわ。