おかん、私のことあきらめる
私にはおかんがおり、私はおかんのことが大好きだ。
おかんが言うことは、正しくはないけど、かわいいし楽しいから好きだ。
子どもの頃からおかんと一緒にずっといて、大人になってからもおかんと毎日遊んでた。
しかし、周りからは非難轟々である。
周りからは、過保護のカホコちゃんと呼ばれてきた私。
そんな周りの声を全く聞き入れずおかんにべったりであった。
そんな私が今日、おかんからあきらめられてしまった。
おかんから、「あんたお母さんと全然違う生き方してるのに楽しそうやし、お母さんあんたがどうやって生きていくのか知らんけど、まあええわ。好きにしたらええわ。」と言われてしまった。
えーまじでーさみしい、心配してほちい。
おかん、そんなこと言わんとアチョんでアチョんで、と言ったら、「お母さん忙しいねん、友達とハワイ行くし」と言われて。
かなぴい。
もうすっかりおかんからあきらめられてしまった。
おかん、私に対する執着が全くなくなったみたいですわ。
友達からも、恩師からも、「みっちゃんは、お母さんから全期待を背負って生きてきたもんね!」と1度目の結婚式の時に言われ、それからも、「お母さんとの絆が強すぎて1度目の結婚はうまくいかなかったんやね!」と言われ、おかんと私には互いに執着があったのに。
すっかりおかんは私への執着を失っていた。
今私は、おかんのすぐ側に住んでいるのに、それさえも「どうせ好きなところ住むんやろ」とさっくりとあきらめられてしまった。
えー、私おかんの側に住んどきたいのに。
おかん、娘が40歳手前になり、とうとう子離れしようとしている。
そして、娘私40歳手前で、まだ乳離れしたくない。
うえーん。
絶対、私の方が先に乳離すると思ってたのに。
おかんの方が先に私のことあきらめちゃったよ。
そうかあ。
そうなのかあ。
とうとうかあ。
でもさ、その準備は私もしてたんだと思う。
今朝、コミュニティ仲間と朝活しながら、自分について振り返っていたわけ。
そうしたら、私は好きという気持ちに化けた執着をコントロールする、という課題が見えてきたわけ。
私、今、1日ですごい成長する時期だから、この課題を自覚した瞬間にもうそっちに向けて進み始めてたんだなあ。
おかんのこと、大好きで、それが実はおかんがいなくなったらどうしよう、という執着に化けていた。
それをコントロールするって決めちゃったら、自分より先に相手が変化したんだな。
それも今の私によく起こってること。
自分のために、周りの方がどんどんお膳立てしてくれる。
ついこの間、関西から東京にお出かけしたんだけど、その際、どうしても新幹線に乗るのが怖くて行きたくなくて。
そしたら、夫が行ったらダメって言ってくれて。
行きたくないなんて一言も言ってないのに、察してくれて、私の都合良いことを言ってくれちゃって。
ありがたすぎる。
そんな風に周りがどんどんと私の願いを叶えてくれる。
おかんも、私はおかんへの執着を手放すって決めたなんぞ一言も言うてないのに、察してくれちゃった。
びっくりする。
おかげで、おかんは私をもうあきらめてくれた。
おかげで私もおかんへの執着を手放せる。
本当にありがたいよ、おかん。
おかん、ありがとう。
おかん、良妻賢母なのかどうかわからんけど、すごい面白くて好きです。
相変わらず妖精のようでかわいいし、好きです。
おかんとしてより、いちファンとして、これからも応援してます!
友達とのハワイ、楽しんで来てください。
私も行きたいわ!
※余談ですが、私の名前「花畑みつ」なんですよ。
さっき、過保護のカホコって入力した時に自動的に「かほ」の意味について注釈が出てきて、それを見て驚いたのなんのって。
「かほ」って”花畑”って意味があるんだって。
驚き。
頭がお花畑だからと付けた名前なのに、自分の人生そのものの名前だったとは。
うーん驚き。
良い名前つけたな、自分。ありがとよ。