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夫はメルヘンの国からやってきました

うちの夫は、すぐに泣く。

泣く、というと涙を流してえんえん泣く、というイメージがあるが、夫の場合は、涙は流さない。

涙を流すよりもよほど悲しそうな表情をして、項垂れている。

朝起きると、そういう表情でじっとこちらを見て、『慰めてくれ〜』と言わんばかりに佇んでいる事はよくある。

ちょうど昨日がそうだった。

連休が明けて、そう、5月病。

あれにかかったのだ。

気持ちはとてもよくわかるし、よしよしした。

そういうのは家族の前だけなのかと思ったら、仕事中も同じらしい。

仕事先の人とご飯を一緒に食べた時に、落ち込むとあり得ないくらいの角度に首が曲がった状態で仕事をしているらしい。

なんと、仕事中もか!

すごいな!

君はメルヘンの国の住人なのだね!


メルヘンの国ってご存知だろうか。

さくらももこさんの「コジコジ」という作品で描かれる架空の世界だ。

メルヘンの国には、色々な住人がいて、動物のような者、やかんのような者、神様のような者、暦のような者。

住人の個性が強すぎてうまく言葉にできないが、その中で最も不可思議な存在こそ、題名になっている『コジコジ』というキャラクターである。

コジコジは何にも囚われず、何者でもなく、ただコジコジなのである。

学校の先生に将来の夢を聞かれた時に、「コジコジはコジコジだよ。生まれた時からずーっと将来もコジコジはコジコジだよ」という名言を残している。

そんなコジコジは、登場時から様々な名言を残しているが、私にとって最も印象深かったのは、「泣いて騒いでスッキリした」という台詞である。

ある日はコジコジと仲間たちは、メラニーさんという魔法使いのお家に遊びに行く約束を取り付けたものの、それは放課後の予定。

まずは学校の授業を終えてから、と皆は思っているし、聞き分けるのだが、コジコジだけはそうはいかない。

「今すぐ行きたいよー!」と人目も憚らず、状況も読まず泣きだす。

周りのお友達はびっくりするし、引いてしまっていても気にせず泣き続ける。

そうしてる間にコジコジは勝手に泣き止んでこう言い放ったのだ。

「はーあ、泣いて騒いでスッキリした」

私は大層な衝撃を受けた。

漫画の世界といえど、こんなにも感情の赴くままに生き、誰の目も憚らずに生きているキャラクターが存在していいのか!と唖然としてしまった。

そして、憧れた。

私も大概ワガママな人間で、子供の頃なんか、ゲームに負けそうになると泣いて放棄するくらいの人間だったが、大人になるにつれて、そういう時もポーカーフェイス気取り出して、『負ける日もあるよね』みたいに物分かりよく生きるようになっていた。

でも、本当はもっともっと色んな感情が渦巻いていたし、時には背後から襲ってしまいそうなくらいの怨念を抱く事だってあった。

そういう感情をいつの間にかむき出しにする事なく生きるようになっていた。

でも、本当はコジコジのように自分に気持ちに正直に生きたい、そう思っていた。

コジコジみたいに、人からどう思われるかを判断の基準にせずに生きてみたい。

そう願った事があった。


そうして出会ったのが夫だった。

人からどう思われるかより、今自分が辛いという気持ちを全く隠そうともせず、全面に押し出してくる夫。

私が憧れた生き方そのものをしているのが夫だった。


だから私は時々、夫に猛烈に腹が立つ時がある。

「なんだよ!自分ばっかり好き放題やって!こんちくしょう!」

という思いが湧き上がってくる時がある。


私は、心底夫が羨ましいのだ。

私だって、明日の仕事行くの面倒臭いな、という日はよくある。

明日は家でずっとYouTubeの動物動画見ときたいな、という日はよくある。

でも、それは言葉にも態度にもしない。

大人だしさ。

でも、夫はそれを平気でやる。

うらやまし〜

憧れるわ。


私がなぜ夫と結婚したのかっていうと、ここに理由の全てが詰まっているのだ。

夫こそ、私の憧れる生き方を体現していて、私のお手本となる人なのだ。

泣きたい時は泣けばいい。

騒ぎたい時は騒げばいい。

誰かのために、自分を犠牲にしなくていい。

自分の願いを聞いて実現してあげられるのは自分なのだ。

私は飛行機に乗る時はビジネスに乗る方が体に合っている。

その事実を認める事はどうにも憚られた。

調子乗ってると思われたらどうしよ、とか思っていた。

私が勝手にその事実を認めても誰も私に何も言わないし、誰も私に興味ないのに、むしろそうやって誰かにこう思われたらどうしようって思う方が調子乗ってるのに。

コジコジが、さくらももこさんが教えてくれたのに、いつまでもそれを理解しようとしない私に、夫は本気で理解させるために私の前に現れてくれたのだ。

誰も私に制限を加えようとはしていない。

唯一自分に制限を加えているのは自分なのだよ、と。

夫はそう教えるために現れてくれたのだ。

なんてありがたい存在なのでしょうか、夫よ。

私の前に現れてくれて、本当にありがとう。


などど、昨日コミュニティ仲間でちん友(ちんちんの話を真剣にできる仲間という意味)の四角井さち子ちゃんのブログを読んで感じたのでした。

さち子ちゃん、ありがとよ〜







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