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少しはましな世界の、一部になれたら

 その頃の私の生活といえば、平日は朝から昼過ぎまでコンビニでアルバイト、夕方には駅前の地下通路で路上ライブ、夜はバンドメンバーでスタジオ練習。大体そんな日々を過ごしていた。
 東京から静岡に帰ってきた、二十代も後半に差しかっていた頃である。何のために生きているのか、目的もよくわからないまま。
 
 ある日曜日、埼玉に住む音楽仲間、Takaちゃんがいつものように、ニコニコ生放送で自分語りや音楽配信を行っていた。彼の放送には、少人数ではあるが固定の視聴者がいる。私も時間が合うときは、いつも視聴するようにしていた。離れていても彼の現状を知ることで安心感が得られたからだ。
 彼は缶ビールを飲んで酔っ払っていた。カバー曲を弾き語りした後、虚ろな目でパソコン画面に向かって語りかけた。

「ああ、一人じゃおもしろくねえなあ。みっちゃん、一回でいいから出てくんね?」

 私が逡巡する間、彼は私の紹介を始める。大げさに思えるほど私のことを称賛するものだから、もう出ないわけにはいかなかった。
 急いでギターのチューニングを合わせる。あくまで音声のみの出演だが、とても緊張する。
 私はもう、自分の音楽にすっかり自信を失っていた。地元に帰ってきて、東京にいた頃に抱いていた「自分は少し特別だ」という感覚が、自惚れであり勘違いだと気づかされたのだ。
 失礼な言い方だが、大した経験もない田舎のアマチュアミュージシャンと一緒にされたくないと、驕る気持ちが私にはあった。が、実際に彼らに接してみてどうだろう。反対に私が見下されるという状況が幾度もあった。なぜなら、彼らを説得できるほどの実力や実績は何もなかったからである。私は何者でもなかったのだ。あれだけこだわっていたオリジナル曲も歌うことが怖くなり、カバー曲ばかり演奏するようになっていた。
 だから、この時も私はTakaちゃんがリクエストしてくれたオリジナル曲ではなく、Sさんのカバー曲を演奏することにした。
 
 演奏終了後、ニコニコ生放送の視聴者からのコメントが画面に流れる。その中で、ある言葉が目に止まった。

「今までいろんな歌を聴いてきたけど、一番好きかも」

 お世辞かもしれないが、なんて嬉しいことを言ってくれる人なのだろう。彼女のハンドルネームはYukaというらしい。
 その後もTakaちゃんのニコニコ生放送に時々出演させてもらい、私が歌うとYukaはいつも温かいコメントをくれた。私もだんだんと彼女の存在が気になり、意識するようになっていた。

 しばらくすると、彼女はTakaちゃんのTwitterから私を見つけてくれた。お互いにフォローを交わし合ったことをきっかけに、彼女とのやり取りが始まった。

 Yukaは一年前にストーカー被害にあったと言う。警察の介入によって解決はしたものの、それを機に家からほとんど出られなくなってしまったらしい。この一件がトラウマとなり、人間不信に陥っているようだ。そのため、現在は家でネットサーフィンばかりやっているそうである。

 彼女は私のどんな話も、興味深く、丁寧に傾聴してくれた。東京で過ごしてきた日々。東京から帰らなければならなかった事件。私もトラウマを抱えて、いつも自分を責めてばかりいたから、彼女がそれを受け入れてくれたことに、どれだけ救われたことか計り知れない。
 私たちの距離は急速に縮まり、気がつけば、Skypeで何時間も会話するのが日課になっていた。

 次第に、私はパソコンの前で歌やギターの練習をしたり、曲を考えたりすることが増えた。画面越しには、何時間も飽きずに聴いているYukaがいる。彼女が私の歌を聴きたいと言うからだ。そんな彼女を少し不思議に思ったが、こうしている時間が幸せだった。彼女が精神的に弱っているときに、目の前で歌を作ってプレゼントしたこともある。

 一度も会ったことのない人に、ここまで心を寄せるのは、なんとも曖昧で居心地の悪いものでもあった。愛の言葉など交わしたことがない。自分がそんな立場にないことをわかっている。何度か、会って話がしたいと伝えたこともあったが、彼女は家に出ることに強い恐怖心があるため、実現は難しかった。それでも私は勝手に、彼女が自分を好きだという確信を持ち、インターネットを介してそばにいることが当たり前になっていた。

 その後、友人の勧めもあり、私はリハビリの専門学校に行くことを決めた。Yukaは変わらずに応援してくれていたが、どこかさみしそうだった。徐々に彼女のLINEの返事は遅くなり、文章も短いものに変わっていた。
 入学後、Yukaからの連絡は一気に減った。「どうしたの? 元気なさそうだよ」と訊いても、「そうかな? なんにもないよ」と、はっきり答えてくれることはなかった。
 曖昧なやり取りのまま数か月が経ち、私も次第に学校に慣れ、友人も増えた。これまでとは生活が大きく変わり、気づくと私からもYukaへの連絡が減っていた。
 あるとき、隣のクラスの女性から告白された。そこで私はYukaのことを思い出した。

 東京から帰って傷心の日々を送る私を支えてくれた人。
 歌を褒めてくれた人。
 過去を受け入れてくれた人。
 他愛もない会話で幸せを感じられた人。
 いつもそばで守っていたかった人。
 かけがえのない、大切な人。

 彼女を思うと、胸に込み上げてくるものがある。
 居ても立っても居られずに、その日の夜、久しぶりにYukaに連絡した。

「もう私なんて、忘れられているかと思ったよ」

 想像していた以上に、あっさりとした返事だった。

「いやいや。連絡しなくても、忘れた日なんてないよ。本当だよ」

「それに、とっくに学校で彼女もできているのかと思ったよ」

「それはないよ。モテないしね」

 返事が来るまで少し間があった。何か嫌な予感がして、彼女が発する次の言葉に心の準備をした。

「みっちゃんはね、もう、次のステージにいるんだよ」

「え?」

「私なんかを待ってても、いつ会えるかわからない。それにね、みっちゃんはここにとどまっちゃいけない人だよ」

「どういうこと?」

 突然、寒くなったように感じた。落ち着きなく体を動かしながらスマートフォンを見つめる。

「私はね、みっちゃんの才能を認めているし、心から応援もしてる。でもね、本当のことを言うと、羽ばたいてほしくないとも思ってるんだ」

「……なんで?」

「私、ついていけないもん」

「連れて行くよ。大丈夫だよ」

「ううん、自分でわかってる。私はできない。だから……。幸せになってほしい」

「え?」

「みっちゃんはいつか、有名な人になると思う。そうなったときも、私は変わらずにファンでいるからね。それを忘れないでいてくれたら、それだけで私は幸せだよ」

 予知能力のように、不思議な力を帯びた言葉で言う。
 心臓が激しく動いていた。ここで引き止めなければ、もう二度と彼女には会えないだろう。
 ……二度と? どこか会った気になっていたが、よく考えれば一度も彼女に会ってはいないのだ。始まってもいないものが、終わろうとしている。まるで、何もなかったかのように。

「うん……」

「本当にありがとうね。じゃあ……」

 それからすぐに彼女のTwitterやLINEのアカウントは削除され、Takaちゃんのニコニコ生放送にも彼女は現れなくなった。事情を何も知らないTakaちゃんも、彼女と連絡が取れなくなったという。
 Yukaは、忽然と姿を消した。彼女との思い出は、もうどこにも残っていなかった。

 あれから、十一年が経つ。
 私は、Yukaの言っていたような有名人にはなっていない。そればかりか、音楽からもすっかり離れてしまった。あの頃のように、何のために生きているのか、目的もよくわからないまま、今を生きている。とても次のステージに行ったなんて言えないのだ。

 私たちは、似たような境遇にいなければ、そばにいられないのだろうか。相手の状況を受容し、気持ちを共感する。それは、境遇が異なるほど難しいものとなる。
 だからこそ、誰かを愛し続けるためには、想像力が必要である。そしてそれが間違いではないか、いつも相手に伝えなければならない。それを怠ったとき、心が離れていくのだから。

 私はYukaが何も怖がることなく家から出られる今を想像してみた。
 この世は、確かに汚い人も怖い事件もたくさんある。私もその事実に何度も絶望した。生きていることが嫌になった。でも、その度に世界は私を見捨ててはくれなかった。私が捨てられなかったのかもしれない。それは、彼女のような希望が存在することを知ったからだ。

 ほら、ドアを開けてごらん。
 世界は思っているより、少しはましだろう。
 私も、その一部になれたらいい。


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