目次:
1.冒頭詩
違和に触れることは、実に容易い。
暖かな炉辺から抜けでて、
雑踏の中に入り込むこと。
そうすると、途端に収まりが悪くなる。
他人のざらつき。私のものではない、あらゆるもの。
それが私を嘆かせ、哀しませる。決して私は独りきりにはなれずに、それでも誰かと共にあることもまたできない。
そのかぎりで、私は神を呪うのだ。
私の、あるいは人の抱える根源的な宿痾について、問い続けるのだ。
何者でもない、何者にもなりきれない。
私たちは疎外されている。
だが一体何から?
生から、あるいは死から、他人から……それとも「私」そのものから?
2.「疲労の溜まった夜に」
3.「真夜中の鍋」
4.「レクイエム」
5.「ベランダ」
6.エッセイ:「想像に変えて」
7.エッセイ:「心のざわつき」
8.後記
疎外とは、他者が存在することによって起こる。人は、それ単体のみでは孤独ではない。何か別の存在があることによって、そしてそれを認識した瞬間から孤独になる。
人は独りでは生きられない、とよく言われる。
教科書じみたこの言葉は、しかしよく私たちの実存というものをよく捉えている。正確には、独りであることによる孤独や疎外感というものに耐えることができないから、生きていかれないのだ。人は物質のみによって生きるのではなく、その他との認識と相互作用の中で生きている。機械にとっての油のように、それは私たちにとって欠くことのできないものだ。
だが時として美しい言葉で覆われがちなこの相互作用を、私は希望的観測のもとで語ることはあまりできない。こうした私たちの群れを為さずには単体で生きていけない本能や習性は、宿命的な病魔のように思えてならない。あらゆる苦痛とは、こうした人間関係によって引き起こされる。疎外とは、その最もありふれた取るに足らない、つまらないものである。幸福か不幸であるかと問われれば、それはどちらかといえば不幸な部類に入るものだろう。
だが文芸にとっては、これは幸福なものである。人が言葉を発するのは、その先に他者があるからで、文字を書こうとするのはそこには自分独りきりである……可能性が高い。
私は大抵独りでいる時に、よく文章を書くし書きたいと思う。
疎外とは、文芸の母である。
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Vol.2 自選アンソロジー「疎外」
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