3.「路傍の人」
石鹸水の流れる路傍で、濁ったしゃぼんが漂っている。昨夜の残り湯が排水からそのまま流れてくる。野菜屑や垢、抜けた髪の束、煙草の喫んだ後なんかが路傍に堆く積まれて夕闇に沈む。無数の脚が行き交い、女の多くのそれは細い。都会がそのまま肉を削ぎ、余裕のない人間の背を押していく。時折駆け込んでくる列車の唸りは、そのまま人を飲み込んでしまうことがある。
住人の居なくなった家の塀から、悠然とそれらを眺めている。列車にかき消された最期の断末魔は、あの擦過音とよく似ていたことだろう。雨と日に焼けた何日か前の新聞紙の片隅に、瑣末な悲劇が踊っている。そうした悲劇が人と人の間に身を潜めて、静かに爪を研いでいる。
のっそりと歩きながら、生ごみの匂いを辿る。たまに嗅いだことのない匂いと肉塊に出くわすことがある。まだ生爪の残った人間の手首がそのまま捨ててある。血塗れのそれは細かい傷を残して、まだ切り口から湯気が昇るほど生温かい。
それらを避けて、魚の粗や肉の屑を探す。
時折わき腹を蹴られて、慌てて塀の上へと逃げ帰る。誰が蹴ったかは分からない。容赦のない脚に、ただならぬ恨みを感じるだけだ。切り落とされた手首がどうなったかは知らない。ごみ処理の人間たちは、そのまま持っていったようだった。それからまた同じようにごみが捨てられていく。
これもよくある悲劇に過ぎないのかもしれぬ。
3軒右隣の家には、ずっとぶら下がったままの人間がいる。ほかに気付く人はいない。微かな腐臭が漂って、内臓はすでに腐ってガスで膨らんでいるようだ。塀の上からのっそりとそれらを眺める。顔を背けるようにして、人々は行き交う。
死神が鎌を研ぐようにして、悲劇が闊歩する。人は盲目なようで、横たわるそれに気づかぬ。
黒猫だけが塀の上からそれを悠然と眺めていた。