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巻頭言:

suicide forest

「suicide forest」というと、どこのことを指しているだろう?
青木ヶ原樹海のことを、こんな風に表現をするそうだ。YouTubeに「VICE channel」というものがあって、そこで「自殺の森」として青木ヶ原樹海を紹介していた。そこで自殺志願者や遺体の捜索をするボランティアの男性の活動を紹介していたのだが、興味深いものだった。
遺留物とは、その人の死に様と姿勢を淡々と表す。逆さ吊りにされた人形や、樹海のページが破られた本、ODの痕跡などさまざまであった。青木ヶ原樹海自体は、松本清張の小説で自殺の森として描写されたことから「suicide forest」として有名になった。いわば社会的な一つのイコンとしてsuicide forestはそこにあるのだ。
自殺という現象は、このように一つの意味合いを持つことが少なくない。個人内部の現象から、社会的現象にまで広がりうるものなのだ。
だが、それはなぜか?
自殺とは、一つの現象である。より正確にいうならば、人間学的な現象である。だが、人間学とはいかなるものなのか。「人間学」と言うのは簡単だけれど、それがなにを指し、意味を持ち、ストーリーを持つのか。そこには、一つの反証がある。人間が人間として扱われない現実がある。これに憤慨しながらも、自らがそれに絡め取られている者が「人間学」について考えようとする根深い矛盾がある。
その矛盾のさなかに、自殺とはどのような意味を持つのだろうか。
自殺とは、一つの現象である。
まずはそこからはじめよう。

目次:
1.ジャック・ヴァシェと自殺

2.シモーヌ・ヴェイユに見る哲学的自殺

3.小論:芸術的なる自殺

4.附論:私はなぜ、自殺しないのか?


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