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姑という女性

この記事は、数日前に一旦公開したものの、その後下書きにしてからリライトしています。当時、スキをくださった方、すみません。

今日、夕食の前に姑の供養をしていました。といっても、故人ではありません。まあ、読んでみてください。

先日、神棚に手を合わせていたら、急に夫の母親の顔が浮かんできました。つまり、私の姑です。
実は、その前に私は運転免許証の更新をしたのですが、その際の写真が
「眉間にシワを寄せ、睨むような形相」
で、ゾクっとしました。にこやかに撮ったのに、なぜ?
出来上がった免許証を見て、嫌な予感はしていたのです。睨むような不機嫌な顔、それは姑の顔に似ていたからです(顔の造作はまったく違います)。

(そうか、そうだよね。やはりあの人が一番夫に執着しているよね)
(長らく姿を隠していたけど)


神棚の前にふっと浮いてきた姑の顔に、そう確信しました。夫に執着し、取り憑き、厄災の原因を作ってきたものは姑なのですね。いろいろなものが剥がされ、見えた姑。姑は、何よりも息子の世話になることを切望して生きてきたからです。

姑とは一言くらいしか言葉を交わしたことがありません。夫とともに結婚の挨拶で彼の実家に行ったときに会ってくれたのは、祖母と舅だけ。
姑とは祖母の葬儀のときに初めて会いましたが、姑は葬儀に出ていません。たまたま家の中で見かけたので、夫がようやく私を紹介してくれたのです。夫は本当に嬉しそうでした。

なのに。
姑は私のことは完全に無視です。それは、その後もずっとそうでした。存在していないという扱いです。それでも、結婚して10年くらいまでは毎年母の日にはプレゼントを贈り続けました。ときには手紙を添えて。綺麗なお花、バッグ、帽子、スキンケア用品、女性が嬉しくなるようなものをあれこれ考えて。
それでも、息子に嫁はいないと思いたいらしく、一言もありがとうと言われたことすらありません。

ここまで読んだ方は不可解で不愉快に感じると思います。私も姑の生き方には疑問です。何があったのかは知りませんが、夫の両親は長い間家庭内別居状態。
離婚はせず、姑は働くこともせず家事も親戚付き合いも放棄し、ひたすら扶養されるだけで暮らしています。

それだけ壊れた夫婦仲なのに、舅は舅でそんな妻が心の底では好きなのだろうなと思います。
祖母の葬儀のときに、嬉しそうに見せられた古いアルバム。若かりし頃の姑は、非常に美人だったのです。弥生人のようなのっぺりした顔の私とは違い、目鼻立ちがはっきりした美人。海外の女優のようないでたち。ただ、どの写真も笑っていません。睨むような形相なのです。笑ったら、どんなに素敵だったろうと思いました。

今は70代半ばといったところでしょうか。
離婚もせずにいるというのは、それなりに理由があると思うのです。私も人間ですから、自分を無視された挙句
「息子の世話になるのは、嫁ではなく私」
というような主張をされては、面白くはありません。憎みもしましたよ。ただ、こういった母親は多いだろうとも思います。

そして、姑の場合、内心は辛いのだろうとも思うのです。壊れたままの夫婦でいることが。だから、今日は姑の心の供養をしたのです。もちろん、心の中で、ですが。
辛さを理解し、寄り添い、残された時間を夫婦で穏やかに過ごせるよう祈りました。あんなに綺麗だったのに、もったいないじゃないですか。今からでも、十分素敵なマダムでいられると思うのです。夫婦の楽しい時間を持って、これまでの人生を塗り替えて欲しいと思います。
息子夫婦に執着するより、嫁から息子を取り返すことを願うより、ずっと健全で幸せな筈です。

そして、神棚にお礼と報告もしました。後は、神仏にお任せしましょう。
神仏にお任せするという気持ちになれたのは、三寅さまの教えでもあります☺️


ん?今気づいたのですが、あんな田舎であんな美女を妻にしたなんて、周囲の嫉妬は凄かったのでは?しかもお義父さんは背が高いだけのブ○。そもそも嫉妬の念が集中した結果、壊れたのかもしれませんね。


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